2024年1月23日

大学教員が考える、子どものアメリカ大学選択

アメリカの大学の学費が高いことは日本でも有名だ。 自分の子どもも後4年で大学なので、少しずつ調べ始めた。 このことを紹介している日本語の記事は多くあるので詳しくは書かない。

さて、アメリカに定住していると、日本同様、まずは私立か州立(アメリカには基本的に国立大学はないので、州立大学で考える)かを考える。自分の州の州立大学には比較的安価で入れる。

我がニューヨーク州は、州立大学の学費が他の多くの州より安い。大雑把に言うと年に1万ドル位である(私の大学だと、今年は10781ドルとのこと)。現在の為替レートでは日本の私立大学並だと思うが、アメリカの年収は大雑把に言って日本の倍位なので(1人当たりのGDPを見てもそうである)、アメリカに住んでいてそこそこいい仕事をしている(私のような大学教員も含む)人から見れば、財布に優しいと感じる。一方、私立大学は大学によるが、トップ校の学費は年に65000ドル位だ。年に1000万円に近い。日本だと、私立の医大の学費に近いだろうか。

日本人や他のアジア人は親が教育熱心なことが多く、子どもが高校でトップ層を占めることが多い。うちの子どもが通う学校は、プリンストンなどのアメリカのトップ(私立)大学に毎年10人20人と卒業生を送り込み、トップ層には中国人、インド人などの家庭が多い。私と同様に、こちらで何らかの仕事を持って定住している人たちである。 そのとき、うちのように、子どもが多いとか、収入がすごい人たち(日本同様、医者、IT企業、医療系企業、金融、弁護士などを想像すれば大体当たっている)には全く太刀打ちできない給与であるとなると、当然州立大学を考える。コロナ後では、高収入の家庭でも、災害やコロナがあったときに子どもの大学が遠すぎると困るから、あるいは物価高からか、州立大学を考慮する人が増えているように見受ける。

州立大学には、簡単かつ大きな問題が1つある。ニューヨーク州では、トップ校のレベルがさほどは高くないのである。トップ校のレベルがさほど高くないからニューヨークの州立大学の学費が安い、という意味ではない。この2つはあまり関係ない。

どの州にレベルの高い州立大学があるかは、知らない人にとっては比較的予測不能だ。学部のランクと大学院のランク(私は、職柄、前者には詳しくない)はしばしばずれているが、レベルの高い州立大学がある州を名指しすると、順不同で、California, Washington, Michigan, Indiana, Illinois, Corolado, Georgia, North Carolina, Texas 位である。人によって意見が多少異なるだろう。ただし、California がこの中でも一番であることには多くの人が同意するだろう。これらの州に私が住んでいたならば、ためらいなく、子どもをその州立大学に入れようとする。私が、これらのレベルの大学で職を取れなかったことの裏返しであるとも言える。

ニューヨークの州立大学は、これらの次の第2グループの州の次、つまり第3グループ位の州であると考える。悪いわけでは全くない。多分、中の上くらいだ。 そして、全米50州のうち15州位は、研究でもその他(例えば、卒業生のX年後の給料などが指標の1つとして様々なウェブサイトに載っている)でもあまり聞かない州立大学のみだったりする。人口が少ない州や、教育に熱心でないとされる州、経済的に厳しめの州などに、そういう傾向が多い。

なので、ニューヨーク州では、とても高いレベルの大学に自分の子どもを入れたい場合、一つの選択肢は、州立大学よりもレベルが高い私立大学は諦めて州立大学に入れることである。州立大学でも、少数の優秀な受験生には、学費減免や寮に無料で入れるとか、お小遣い(!)が出るとかがあるので、そういうのを狙ったりする。

最近知った大事なこととして、トップ私立大学は、こちらが欲しい意味では学費(など)免除の奨学金を提供しない。そんなことをしなくても入りたい人がたくさんいるからだろう。学費免除には2種類ある。親の収入が十分でないから一部(あるいは全部)を免除する型 (need-based と呼ばれる) と、学業・音楽・スポーツ・リーダーシップなどなどに秀でているから収入に関係なく一部(あるいは全部)を免除する型 (merit-based と呼ばれる)である。 トップ私立大学には need 型はあるが、merit 型がない。 need 型の提供額は、基本的に親の収入や財産で決まる。かなり貧困であれば、全額免除となる。しかし、向こうもビジネスである。大抵の人にとっては、need 型を取ったからといって、親(あるいは子ども本人)が払うお金が少なくなってよかったね、というほどには少なくならない。もしそんなに少なくなるなら、みなこぞって子どもを私立大学に入れるはずだ。そんなおいしい話はない。私の収入(や子どもの数)でも、ある程度の need 型奨学金をもらえる。私がもらえる need 型の金額は調べれば分かるが、調べる気はない。多少減免されたとしても、べらぼうに高い額であることには代わりがない、と分かっているからである。

トップでない私立大学では、下の方に行くほど merit 型の奨学金はあるようだ。ただし、あまり調べきれていない。一方で、ニューヨーク州の州立大学(私の勤める Buffalo と Binghamton, Stony Brook の 3 つがトップ校と言える)のレベルに及ばない私立大学ならば、子どもを通わせたい理由がない。また、子どものレベルがニューヨーク州のトップの州立大学に及ばない場合は、州立大学の中でレベルを下げて選べばよい。

結論から言うと私は現時点では州立でよいだろうと思っているのだが、同じレベルだとしても、私立の方が州立よりもケアが手厚い、という反論(!?)が考えられる。 確かにその通りだろう。ただ、高い学費に見合うかどうか。 そこで、大学(学部)の機能について考えてみる。大学に何を求めるか?

  1. 授業の質が良い。
  2. 授業以外で、教員が研究や他のことにより秀でていて、接する機会がある。
  3. 大学院に進学したい場合に、その準備のために有利である。大学院は、専門系(医学部=アメリカでは大学院から始まる、MBA など)と学術系(博士号)に大別できるだろう。
  4. 学部卒の就職に有利。
  5. 本人が優秀な人や親がリソースに富む人(親が富豪、政治家、高度な専門職など)が周りに多く、横のつながり作りが将来に役立つ。

どれも日本でもありそうな話だ。

まず、1 について。アメリカでは、州立大学・私立大学を問わず、教員の授業評価が厳然としている。学生の評価も、日本よりは多分辛口だ。多くの大学が、授業評価の得点を、例えば教員のテニュア(終身在職権)審査でかなり重視する。研究重視とされる大学でさえも、この点数が低いと教員が(具体的には、助教が准教授に上がる段階で)テニュア審査に落ちることがある。落ちるとクビになる。実例をたまに見る。だから、州立が私立トップ校に比べて授業が雑、ということにはならないと思う。

大学院の授業だと、教員の研究力の差が授業の質に反映されることが増えそうだ。大学院2年目以降では、教員の専門分野に近い授業が多くなってくるので、特にそうだ。しかし、学部では基礎を教えるのでそこまで関係ないと考える。基礎科目ではない授業で、教員自身の研究を学部の授業に反映させて魅力的な授業を作ろうとすることはある。しかし、教員本人の研究がトップレベルかそこまでではないかは、その授業が面白いか、教育的であるかどうかにはさほど関係しないと思う。ましてや、他の優秀な先生の研究をネタにして授業を作ってもよい。

それでも、私立トップ校では、良い授業をできる授業専門の人材を高値で雇うことができる(が州立大学はそこまでお金をかけられない)かもしれない。でも、いくつかの授業の質が私立大学Aと州立大学Bで違ったとしても、それが理由でA大学に行ってすごくよかったとか、そのおかげで次のキャリアにつながった、とまでにはなりにくいと考える。

次に、2 について。私の結論としては、学部生だとそんなに関係ないと考える。

研究大学(トップ付近の州立大学を含む)で大学教員が学生に接する機会で、授業の次に多いのが研究だろう。 日本で言うと、卒論やゼミで先生の研究室に入ることである。アメリカだと、学部生の研究(卒論を書くとは限らず、学術会議発表や博士課程の研究手伝いで終わる場合も多く、それでもプラスであると見なされるので、「学部生研究」と呼ぶ)は、学生自身の行動や教員側の受け入れ可否の判断に依存する。日本の理系でよくあるように全員が必修科目としてやる(またはそういう科目がないので誰もやらない)わけではない。レベルと動機が高い学生は、学部生研究をやらせてもらえるべく目当ての教員と話し合う。教員には、(少なくとも私の大学や他の多くの大学では)学部生研究を世話するのは必須でない。しかし、学部生研究の指導は大学への大切な貢献だと見なされることが多いし、研究費を国等に申請するときに少し有利になる可能性がある(そういう実績を書く)ので、受け入れにまんざらでない教員も多い。学生が必修でもない学部生研究を行う理由は、学術的な興味であることもあるし、大学院入学や学部卒就職を有利にする目的のこともあり、多分後者の理由が大きい。ただし、真面目にやらないと教員が良い推薦状を書けないので、手を抜くといった話は聞かない。手を抜いて学部生研究をした人は、指導教員からよい推薦状を書いてもらえないので、私が目にしないだけかもしれない(私は、大学院入試などで、学生の推薦状を読むことが多い)。

トップ大学のトップ教授に師事して研究をして、願わくば良い研究成果を出し、推薦状を書いてもらうなら、確かにトップ私立大学に越したことはないだろう。ただ、親の立場の私としては、その可能性のために4年間で20万ドル(現在の為替で3000万円程度)以上を追加で費やして子どもをニューヨーク州の州立大学でなくトップの私立大学に送りたいか(もちろん、トップの私立大学は入るのがそもそも難しいので、入学許可が出る可能性が高いと思っているわけではない)、というとそこまでではない。なぜなら、目当ての先生が学部生研究を目下受け入れてない、他の優秀な学部生で席が埋まってしまう、などの理由で希望の研究室に入れないかもしれない。また、博士課程学生の研究指導ならまだしも、学部生の研究指導について、そういうトップ校の先生が上手だとは限らない。また州立大学にも、一定割合で研究も指導も素晴らしい先生がいる。学部生研究を州立大学でしたければ、そういう先生を選べばよい。

このとき、トップの州立大学の力量がかなり限られている州に住んでいると、多分難しい。そういう大学には、そういう研究+指導に長けた先生がさすがになかなかいなくなってくる。トップの州立大学がハイレベルな州(上で述べた)に行けば、そういう先生は高い割合で見つかる。ニューヨーク州は中程度と書いたが、私の大学を含む、ニューヨーク州のトップ州立大学3校でも、そういう先生はそれでも十分に多く見つかる。しかし、そうでない州では、州のトップ校でも、先生は研究よりも教育や他のことに重きを置くことが多くなってくるだろう。

さて、ニューヨーク州の州立大学に話を戻すと、適切な教員を見つけるにはコツがいる。あるいは、どの大学のどの学部だと学部生研究が盛んだ、盛んでない、という差がある。ここで、大学教員である私の出番だ。私は理系の中なら、そういう目利きができる。それを子どもに使う。

また、(私は理系しか知らないが)アメリカの学部生の研究経験の多くの割合が、REU というものから来る。これは、少なくともグリーンカードを持っていないと参加できないと思うが、夏休みに、自分の大学や他の大学(特に後者)で研究の経験をすることである。国が公募で研究者に予算を出している。その予算を得ることができた研究者は REU を組織して、夏の間参加したい学部生を募集する。学生の人気は高く、REU に入るのは簡単ではないとされるが、これに入れれば良い。経費は受け入れ側持ちである。REU に入ることも、トップ私立はサポートがあるから有利というのはあるかもしれないが、そこは私の専門。REU の受け入れ側がどういう学生や履歴書を欲しいのかは大体分かるので、やはり子どもに使おう(本人が行きたい場合)。

3の専門職系はよく知らない。学術系の博士課程はよく知っている。いい大学の博士課程に入るために必要なのは、私の意見では、(i) 学部での成績が良い、(ii) 研究経験が何らかの成果つきであるとなお良い、(iii) その他の活動(大学やコミュニティに貢献するような活動。高校生や子ども相手でもいいので先生や家庭教師の経験なども含む)があるとなお良い、くらいだろう。「その他の活動」と言っても、学部入学とは異なり、音楽やらスポーツやらは基本見ない(私は少なくとも見ない)。

ハーバード大学出身でも、この3項目に乏しい履歴書で私の大学の博士課程に応募してきたら、落ちると思う(他の教員がどう評価するのは分からないので、私見に過ぎない。大学や学部の正式見解ではないと断っておく)。大学名が高いと、授業が多分難しいので、成績の数字(いわゆるGPA)はそれを加味した上で評価されるだろう。しかし、それ以上のことはない。大学名に反応することはない。学部で何をやるかによって、逆転は大いに起こる。

(i) は真面目に授業をやればできる。(ii) と (iii) は、上で述べたことも関係して、確かに私立だと有利かもしれない。しかし、自分の見立てだと、州立大学でも十分にできる。トップ私立校の人と遜色ない履歴書にすることは、本人の努力と、多少の情報があればできる。私立トップ校の博士課程には、実際に、様々な州の州立大学から来ている人も多くいる。

4は、私は知識がないので何も言えない。大学の名前? 就職や資格取得のサポート? インターンの紹介が豊富? 色々ありそうだ。

5は確実にある。アメリカっぽい。アメリカ的には、そういう上級サークルに入るには、基本的には (A) 裕福な家庭に生まれるか(もちろん、それだけではトップ校に入れず、学業や学業外で優秀な高校生である必要がある)、(B) 背伸びして大きな借金を背負ってそういう大学に入るか、の二択である。ニュースでは、貧困な家庭で育って、全額給付の奨学金をもらってトップ私立大学に行った、という話もあるが、数が少ないし、日本人家庭の場合(ハーフの場合も含む)その場合にあてはまらないことが多い。うちは (B) なので、大きな借金に値すると考えるかどうか、である。

日本では、(A) か (B) かという状況はない。トップ校が国立だからである。学費の高騰という議論は日本にもあるが、日本の国立大の学費は、アメリカのトップ私立大の10分の1未満である。日本の平均年収がアメリカの半分だと見積もったとしても、この差はとても大きい。しかも、アジアの常として、受験勉強だけできれば東大、京大などに入れる。アメリカだとそうではなく、課外活動が重視され、課外活動にはお金や見えないノウハウがかかる。日本では、お金がなければ確かに受験塾に子どもを通わせることは難しいかもしれないが、それでも受験勉強一本で大学に入れる。東大にも、親の収入は平均的という家庭から来る学生が、多いとは言わないが一定割合いる。

うちの場合、今は長女のことを考え始めている状況であるが、彼女は何になるにしても大学院まで行きそうな気がする(父親としては、卒業した後に仕事があるような学科に行ってね、というのが唯一の制約で、それ以外は強制しない)。だとすると、1は彼女の性格だと自分自身や友達間のヘルプでできるので大丈夫で、2と3は父が知識を提供すれば大丈夫で、4は関係なく、5は諦め、州立大学でよいというのが提案である(ただし、もう一つ選択肢があって、今回の記事は長くなったので、改めて書きたい)。博士課程に行きたくなる場合、その時に一流のところに入れればよい。

ただ、長女の友だちの姉、兄には同じ高校を卒業してアイビー・リーグなどのトップ校に進学している人がそこそこいる。彼女のピアノの先生の年上の子たちも、Duke やら Rice やら一流校に行っている人が何人もいる。したがって、彼女の友だち自身も何人もがそういう大学に進学するはずである。彼女にその実力があるかどうかは、まだ3年先なので現時点では分からないが、出願して受かる可能性がある場合、友だちも目指すので自分も出したい・行きたいと思うのがむしろ普通だろう。その時どうするか。多分出せる額までは出してあげるけど、アメリカのよくあるパターンで残りは借金で自分で背負ってね、となりそうだ。

2023年5月28日

中国人ネットワーク

子どもの通う学校には中国人やインド人が多い。私の住む学区は広域バッファローの中でも良い学区の一つとして認識されているので、教育熱心な親はこの学区に家を買おうとする。そのようなアメリカ人もそれなりに多いが、例えばアジア人の親は、この基準で住む場所を選ぶことが多い。うちもそうだ。

このようにして、日本人は、うちの学区や、その他の学区が良い地域に偏在しているようだ。
ただ、そのようないい感じの地域に限ったとしても、バッファローにおける日本人は希少種だ。

韓国の人口(5000万人を少し超える程度)は日本の人口の40%位だが、バッファローにいる韓国人は、日本人よりも確実に多い。
私の大学にいる韓国人教員は20人程度らしく、それだけで韓国人会をやったりするそうだ。
日本人教員は多分 5人程度だ(裏はとってないが)。

中国の人口は日本の11倍強だが、バッファローにいる中国人は、日本の11倍よりは多いと思う。
私の大学にいる中国人教員は、5 × 11 = 55 人よりは確実に多い。なにせ、我が数学科だけでも終身雇用の教員29人中8人が中国である(すごい!)。
うちの子どもが通う中学校でもそうだ。日本人は2人(うちの長女と次女)。中国人は 2 x 11 = 22 人よりは確実に多い(全校生徒数は 800 人位)。

これの何が重要なのか。

情報交換ネットワークである。

彼ら(親のこと)とて、私らと同じ外国人だ。グリーンカードを取ったり、国籍をアメリカに変更したりしている人も多い(むしろ、このどちらかを済ませている人が大半だろう)が、元は異なる国から来た。
したがって、アメリカの小中高や大学進学の仕組みについては、私や妻が元来は知らないように、彼らも元来は知らないはずだ。
学校のことに限らない。子どもの誕生会(友だちを呼んで行うのが一般的である)はこうやって挙行するのだ、といったノウハウも元来は持っていないはずだ。
彼らの多くは、大学院生として渡米して来ていたり、母国で全部の学位を取った後に仕事で渡米してそのまま居着いていたりする。したがって、アメリカの大学や仕事の仕組みについてはたくさん知っているかもしれない。しかし、子育てのことは情報の種類が全く別である。

また、海外出身であるかどうかに関わらず、子どもの習い事はこれがよいとか、この先生がよいとか、子どもの誕生会をやるにはこの店を使うとよいとか、保育園ならここがよいとか、ローカルな情報もある。バッファローの外からやってきたアメリカ人も、こういう情報は欲しいだろう。

とくに中国人は、数も多く、こういう情報を交換する自然なネットワークがあって、非常に有効であるように見えるのである。

例えば、私の大学に2年前に赴任して来た教授がいる。彼は別の学科だし直接会ったことはないが、その奥さんとお子さんに、子どもの誕生会で会った。中国人の同級生の誕生会に、その子も私の娘も、他の10人くらいの子どもと共に招待されたのである。印象的だったのは、4年前に来た私よりも、広いネットワークを持っているように見受けたことである。私らがバッファローに来てからすぐにコロナになったので、私らの最初の2年間位は難しかったせいもあるけれども、その影響を差し引いても、彼らが中国人ネットワークに素早く溶け込み、そこから色々な情報を得てバッファローでの生活を早く軌道に乗せることができたのではないかと推測する。

ひるがえって、うちの場合、知り合いの日本人や中国人などに色々教えて頂き、とてもありがたい。 ところが、日本人は絶対数が少ない。また、中国人同士のコミュニケーションの密度には及ばないと感じる。 すなわち、日本人もお互い助け合い、助けて頂いて日頃ありがたいのだが、中国人は海外で生きる中国人同士お互い助け合いましょう、というつながりがより強いように個人的には感じる。これは、文化的な理由なのだろうか?
また、中国人の知り合いも色々我々に教えてくれて、とてもありがたい。ただ、彼ら同士が中国語で日頃やりとりしている会話の密度にはさすがに及ばないだろう。

中国人ネットワークには、日本人ネットワークと比べたときに、人数が多い以外の重要な特徴もある。

学歴が高いのである。例えば、私の子どもが通う「数学プログラム」がある。放課後に、大学で、数学を先取りして学習する。その生徒名簿には親の連絡先が書いてある。そこには、やはり中国人が非常に多いのだが、その親の名前には Dr. がついていることが多く(例えば、私なら Dr. Naoki Masuda と書いてある)、両親とも Dr. という人も多い。両方博士号を持っていて、夫がうちの大学の教員で妻が会社員で、妻の方が稼ぎがかなり多い、という事例も複数聞いた(博士号を持っている人がアメリカの会社で働いたら、普通そうなる)。話していても、例えば夫が主な働き手である場合に、博士号を持っているのが大半で、また、妻が博士号や修士号を持っている場合がとても多い。そもそも、アメリカで大学院生をしているときに出会って結婚したとか、中国で若い時からつきあっていて2人とも留学したとか、そういうパターンが多いようだ。

学歴が高いと、平均的には、より教育熱心だったり、教育熱心さを子どもの学歴や成功に結びつける方法を結局はより多く知っていたり、自分の外のコミュニティ(例えば、中国人関係でない人たち)に対してよりオープンである傾向が高いように思う。

子どもの近しい友だちは、中国人が一番に多い。ついで、アメリカ人やインド人や韓国人といったところか(順不同で)。 したがって、親として、中国人ネットワークに触れる機会が比較的多く、彼らから学ぶことがとても多い。

2022年9月2日

アメリカの中学校:中身編

前回のブログでは、アメリカの中学校探しについて述べた。
今回は、中学校の様子について述べる。
総論するのは難しいので、印象に残ったことをいくつか述べるのみにする。

音楽教育にすごく力を入れている。私の子どもの中学校だけでなく、学区全体でである。
小学校は(なぜか)1〜4年生で、4年生になると楽器を1つ選択させられる。
中学校は5〜8年生で、絶対必修ではないが、5年生からは学校のバンド(日本のブラバンとほぼ同じ構成)またはオーケストラ(弦楽器)を選択する(コーラスを選ぶ人もいる)。選択するというよりは、やる楽器に応じてどちらに所属するかが自動的に決まる。例えば、私の子どもで中学生の2人は、それぞれフルートとクラリネットなので、バンドとなる。
音楽の授業とは別にバンド(ないしオーケストラ)の授業がある。学校の講堂を夜に使うような発表会は結構頻繁にある。コロナ当初は発表会は中止になっていたが、2021年の終わり頃からは、普通に開催している。
うちは音楽な家なのでこれはとても嬉しい。
一方、親子とも音楽に興味がない家庭は、歓迎でない場合もあるだろう。というのも、学校税(学校税については前回のブログに書いた)の一部は、バンド(やオーケストラ)の先生の給料や活動資金に回されているはずなので。
7年生からは、履修し続ける人はかなり減る。逆にいえば、少数精鋭だ。
そして、郡レベルなどのオーディションが年に2回くらいある。これを勝ち抜くと、郡のバンドの演奏会で弾く機会が与えられる。そうやって、上にどんどん階段がつながっているようだ。私の研究グループの大学院生の一人は、同じ学区の出身ではないが、高校のときに、ニューヨーク州全体のバンドでフルートを吹いたそうだ。
そういうオーディションなどに取り組むには、個人的な先生について習うことが必要不可欠である。学校でも、個人レッスンを授業の一貫としてそれなりにやってくれる(それだけで、私は驚いた)。ただ、それでは足りないので、本気の場合には、先生について練習する。というか、個人的な先生につくことがオーディションに出るための条件になっていたりする。
日本だと、ピアノは大衆化しているが、他の楽器を習うのは結構高級家庭な感じがする。私は少なくともそう感じる。こちらでは、もっと大衆的だ。習い事としての地位が、ピアノと他の楽器の間で対等程度、ということかもしれない。

学校の個々の授業については、すごく得点化されている。小テストなり提出物なりが頻繁にあり、それぞれに得点がついていて、成績が数字でよく管理されている。成績は、オンラインで個人ページがあってそこで見れるので、親もいつでも確認することができる。
これは便利だ。
とはいえ、中学生以上になると、生徒が個人で自己管理できることを徐々に(7年生からは、と先生は言っていた)求められる。成績は親もオンラインで細かく確認できるものの、提出物やテスト日などについては、もちろんそうでない。子どもの管理能力でも差が出そう。日本でもそうなのかな。

飛び級が身近にある。
これは、日本にも(私が5年半住んだ)イギリスにもない。
日本に飛び級が(ほぼ)ないのは、横並び思考のせいだろう。出る杭はたたかれる。
イギリスに飛び級が(ほぼ)ないのは、多分そこまでの制度をがんばって作ろうとは思わないからだろう。それに、イギリスでは出る杭はたたかれないが、子どもにそういう競争させるのを嫌がる傾向があるように見える。
アメリカは、うちの学区やその周りでは、飛び級は普通に制度化されているようである。
多分成績に基づいて、次の学年では1つ先の学年の何々の授業を履修してもよいとかいう通知が、学年の終わり頃に来る。
学年を飛ばさない場合も、数学の授業が習熟度別に分かれていたりする(これはイギリスでも見た)。

大学の数学プログラム。
私の勤務先(ニューヨーク州立大学バッファロー校)では、Gifted Math Program(GMP と呼ぶ)という、数学をがんがん進めるプログラムがある。7年生から始まる選抜制で、年に60人程度を募集する。
どこに住んでいるかは関係ない。公立校、私立校も問わない。
GMP に入ると、要するには、数学をがんがん進める。GMP そのものについては、また今度のブログで書きたい。
GMP は学校のプログラムではない。しかし、学校の数学の授業の代替となるという意味で学校と連携している。
つまり、週2回の放課後に行われる GMP に参加していると、その成績が学校に報告され、その代わり、学校の正規の数学の授業を履修しなくてよい(履修してもよい)。
GMP の方が学校の授業よりかなり難しいので、得点は普通は落ちる。
ただ、学校の数学での95点と GMP の 85点が同等(数字はここでの説明目的であり、本物の数字ではない)といった何となくの換算基準があるようであり、GMP に入って損をするようなことにはなっていない。

スクールバスが家の前まで迎えに来る。
アメリカの黄色いスクールバスは、映画などでまあまあ知られている。あれが家の前まで来る。
イギリスのときは、(地域によるかもしれないが)スクールバスはなかった。また、日本と異なり、子どもが勝手に登下校してはいけない規則があるので、少なくとも小学校4年生程度までは、親が毎日付き添って登下校をする。車で行けば学校周辺は当然渋滞するし、歩くと子どもの足で片道30分くらいの微妙な距離で、両親としては苦痛だった。
この毎日の業務がなくなったのはありがたい(ただし、私はこの業務を10回か20回に1回しかやっていなかったので、偉そうに言う権利はない)。
アメリカの初日にスクールバスが普通に来たことの感動は忘れられない。
なお、スクールバスは、学校税とは関係なくあまねく存在するようだ。

多様性。これはイギリスにも共通する。生徒の背景が多様だ。
多様さの度合いは、イギリスやアメリカのどこにいるか、あるいはバッファローの中のどの学区、さらにはどの学校であるかに依存するようだ。
自分の子どもが行く中学校は、学区のトップと認識されているからか(順位は毎年変わるし、学区内の他の中学校と順位でも大して差はないのだが)、意識の高い親が引っ越してくるようだ。そして、そういう親は、外国人を初めとして(自分らもそうだ)、多様であることが多い。
海外に住んでいる人は想像しやすいこととして、中国、韓国、インドなどは教育熱心な傾向があり、そういう親を持つ子はうちの子の中学校に多い。ただ、実際には、もっと多様である。アラブ、南米なども。
日本人は希少種だ。日本人は、そういう教育熱心さにおいては中韓などと変わらない。ただ、日本人の数が圧倒的に少ないのだ。

外国語の授業。
スペイン語かフランス語のどちらかを履修する。
アメリカでは、英語以外の中ではスペイン語の存在がダントツで大きい。
大雑把に言うと、スペイン語が母語である国が多いラテンアメリカと隣接しているからである。
ところで、バッファローはカナダに隣接している。
カナダでフランス語を話す地域(ケベック州など)はバッファローのすぐ北隣にあるわけではないが、その代表都市であるモントリオールまで車で6時間である。同じ州内であるニューヨーク市に行くよりも近い。英仏両方が話される首都オタワまでは車で5時間である。そのため、アメリカの西海岸や南と比べると、個人的には(あくまで個人的)フランス語に少し親近感を感じる。「スペイン語かフランス語」となっているのは、そのせいなのだろうか。

2022年8月11日

アメリカの中学校:学校探し編

2019 年にイギリスからアメリカに引っ越した際の中学校の選択について述べる。
中学校の様子については、次回のブログで述べる。
アメリカの中学校といっても多様だ。ここで述べることは、私が住むバッファローの、その中でも私の例に過ぎないことをあらかじめことわっておく。
なぜ中学校? それは、私の子どもはまだ中学生なので高校のことは分からないし、小学校より中学校の方が言いたいことがあるからである。

移住にしろ駐在にしろ、子どもの学校探しは、多くの親の関心事だ。
イギリスの大学を辞めてアメリカに引っ越すと決めてすぐに、学校を探し始めた。
私には一つの強みがあった。
それは、イギリスに5年間住んでいたことである。
アメリカとイギリスの間で、学校探しのこつは似ているだろうと考えた。
それは当たっていた。

イギリスやアメリカに住む多くの家族にとって、学校探しと家探しはほとんど同義だと思う。
日本の都市ならば、まず中学受験や高校受験(小学校受験でもよいが)という制約がある。
私は中高公立なので、自分としてはよく分からないが、少なくとも東京23区や周辺地域に住む多くの親は、そう考えるようだ。
なので、引っ越しと受験の相対的なタイミングについて考えるだろう。
また、電車でまあまあ遠くまで通学できる、と考えるかもしれない。なので、家があって、そこから行きやすい範囲の良い私立中高(あるいは、国立や、最近だと中高一貫型の都立など)を探す、ということがしばしばある。

イギリスでは、少なくとも私の職業では、子どもを私立に入れるのは基本的にありえない。学費が年に300万円とかするからである。私立中学校によっては、すごい成績優秀な数人は学費が半額免除になるなどの制度があるが、半額でも私にはかなり高い。
子どもが1人で親が共働きだったり、私が稼ぎがよい一流企業の会社員なら可能だろう。しかし、イギリスの大学教員それだけでは無理だ。
アメリカでは、学費はざっと見る限りではイギリスよりは安いようだが、やはり高い。日本の私立中高よりはイギリスの私立学校の学費額に近い。やっぱり無理だ。

したがって、私立は一瞬にして私の視界から消え去った。
では、公立の学校の良し悪しは何で決まるのか?
イギリスでは、主に地域で決まる。良い地域の学校は良く、悪い地域の学校は悪い。
良い地域の学校の家は、買っても借りても高い。

アメリカは? だいたい同じだろうと考えた。
そもそも、良い学校とそうでない学校をどうやって見分けるのか?
イギリスでは、Ofsted という「公式ランキング」がある。
アメリカでも何かあるだろう、と思って探してみると、あるある。
公式ランキングではないが、小中高の学校をランキングしている様々なウェブサイトがある。
これらを参考にしつつ、また、未来の同僚(元からの知り合いだったり、私の就職面接で知り合ったりした)にも尋ねる。
その結果、比較的簡単に、2つの中学校が浮かび上がった。City Honors という学校は、バッファロー市の中心部にあり、地域のトップ公立校である。私の同僚の多くも、この学校に子息を送っている。もう1つは、郊外にある Transit Middle という中学校である。

なぜ中学校で見るのか?
中学校でなくてもよい。ただ、中学校+高校で考えるのがよい、というのが私のイギリスでの経験知である。
というか、イギリスでは、中学と高校が一体化している部分があるので、あまり区別がない。ただ、小学校よりは中学+高校が大事だろう。
結局は良い大学に行けるかどうかを気にする(日本もイギリスもアメリカもこの点において、似ていると思う)ので、日本でもそうであるように、小学校より中高を気にするようなのだ。

では、この2つの中学校の違いは何か。
City Honors は、遠くからでも入学が可能。一方で、入学選抜試験がある。
Transit Middle は、入学選抜試験はない。ただ、ランキングだけを見ると City Honors よりは若干劣る。
私は、Transit Middle(と、そこから自然に進学する高校)を選択した。
入学選抜試験を嫌って Transmit Middle にしたのか?
それは少し当たっている。
というのも、仮に長女がその選抜試験に受かったとしても、次女や三女が受かるとは限らない。次女や三女が落ちた場合、学校の選択が面倒だ。市の中心部には、実は、City Honors 以外にはあまり良い学校がないとしばしば言われる。

そもそも、Transit Middle は、受験がないのになぜ良い学校でいられるのか?
イギリスの場合と同様に、そこだけ地価が盛り上がって、教育熱心である傾向がある家族が多いからだろうか?
それは少しはあるが、一番の理由ではない。地域で一番金持ちな地域は、実はこの学区域ではない。
理由は、学校税である。
この地域に住むと、住民税の他に学校税を徴収される。
学校税は税金にしてはかなり高い。年に50万円や100万円なのだ。
ところが! この数字にひるんではいけない。実は得なのだ。
学校税は、住宅価格で決まる。
子どもがいてもいなくても、そこに住んでいれば、学校税を払わなければならない。

我が家には、子どもが3人いる。しかし、学校税は3倍にはならない。したがって、この高い学校税を払う方が、我が家にとっては圧倒的に得なのだ。
年に100万円だったとしても、3人で割れば年に33万円なので、悪くない。
いっぽうで、子どもが1人や0人の人にとっては相対的に損だろう。
この学校税には2つの効果がある。
1つ目は、お金が学校の運営のために使われることである。サービス等がそれなりには良い。いわば「プチ私立学校」だ。
2つ目は、イギリスで私が学んだことそのものだ。学校税を払ってでもここに住みたい人しか住みに来ない、という効果だ。
この2つ目の効果は大きい。それでも、この地域の高校に行けば、生徒がトイレで麻薬とかやってるらしい。日本の高校で言えば、学校で煙草を吸うようなものだろう。とはいえ、全体感覚が大事。全体的に見れば、大学への進学実績や高校でさせてもらえることなどを聞く限りは、まあ良さそうだ(まだ娘が高校に行っていないので分からないが)。

これらのことは、イギリスに5年住むと予測可能だった。日本からいきなりアメリカに引っ越ししていたとしたら、経験がないので、 予測不可能だっただろう。
ここまで決まれば、あとは簡単。学校の学区を調べて、学区の中に家を借りる(いきなり家を買うことはためらわれたので、最初は賃貸にした)だけだ。
イギリスの場合には、学校に各クラスの定員が厳密にあるので(30人)、目当ての学校の近くに住んでも、子どもがその学校に行けるとは限らない。
アメリカの場合には、学区内に家があれば、子どもはその学校に必ず行ける。日本と同じだ。
なお、イギリス対アメリカ、と対比するのは間違っていて、アメリカでも州や地域によって異なるだろう。ここで述べていることは、ニューヨーク州のバッファロー近辺限定で通用すると思って頂きたい。
州や地域ごとの学校関係の制度の違いに加えて、アメリカでも、大都市に行けば、住宅・学校事情がバッファローとは随分異なるだろう。

イギリスでは、良い学校の近くでは地価がべらぼうに高いのが、私には厳しかった。
大学教員の給料では手が出ない。
バッファローでは、そこまで高くなかった。
2019年当時、住宅は特には高くなく、助かった。しかし、2022年現在では、不動産価格が上がってしまったようだ。多分、全米的な現象だろう。子持ちでうちの大学に異動してくる新しい先生方も苦労している。

かくして、Transit Middle 中学校、および、望みの小学校と高校の学区内に賃貸を決めることができた。
子どもの学校問題が、アメリカに引っ越しするより前に解決したのだ。
これは、同僚の情報(ありがとう!)、および、私がイギリスで得た経験がバッファローにも首尾よく活きた結果だ。

2022年5月23日

10年ぶりの博士号輩出

10年ぶりに、自分の指導学生としての博士号を出した(2人同時に)。

ここまで長かった。
理系の研究大学では、博士号を何人出したかは、大学教員にとって結構大事だ。我々の履歴書上も大事だろうが、実質的にもそういう卒業生が将来どこかの大学で教員になって(自分の勤める大学より格上の大学のこともある)、何かの仕事を一緒にやるかもしれない。実際、私は、自分の指導教員に大きなプロジェクトに加えて頂いて(日本に私がいない分、色々な不便をおかけしているはずなのに)、今一緒に仕事をさせて頂いている。あるいは、博士号をもった学生が企業に就職して、インターン・就職の斡旋・産学連携などで元指導教員と協働するかもしれない。

私は博士課程の学生を指導したり雑談をしたりすることは好きだ。
なので、博士号をどんどん輩出したいと、日本で大学教員になった当時からずっと思っている。
しかし、その道は平坦でなかった。
東大のときに博士号を2人(この2人も同学年で、同時卒業だった)出しただけなので、合計4人である。
私は大学教員歴16年で、今まで属してきた3つの大学はどれもひとかどの研究大学である。それにしては、博士号4人というのは少なく、指導教員の実績として成功しているとは言えない。

前職の東大とブリストル大学では、それぞれ異なる理由で、博士課程をリクルートするのが難しかった。

東大では、(東大に限ったことではないが)大学院にもしっかりとした入試試験があった。
外部からの受験生よりも内部生(学部と同じ大学院を受験すること)の方が受験に強い傾向があるようで、私の指導下には内部生が非常に多く入ってきた。
ただ、この大学院入試が、修士課程であることがポイントである。
修士号をとってそのまま(博士課程の入試はあるとしても)博士課程に進む学生は今では少ない。
工学部だったこともあってか、少なくとも私のいた当時について言うと、ほとんどの学生は修卒で就職した。

実は、私は人気はあったので(えっへん!)、外部(東大の他の学科や、東大以外の大学)の学部生から、私のところに大学院で入学して、それだけでなく博士課程までやりたい、という希望者が毎年のように私のところに会いに来た。
私としては、そういう学生は基本的にほぼ全部歓迎だった。
しかし、これらの学生は私の所に来れなかった。
私個人としては、入試問題を解く能力は内部生に劣っていたとしても、外部の教員にコンタクトしてまで博士課程の指導教員を探すようなタイプの学生が欲しかった(というか、博士課程の学生を指導したかった)。基礎力が低すぎる人はたしかにお断りなのだが、私に会いに来た10人以上の中で、この基準にひっかかって私が受け入れたくないと感じた人は一人もいなかったと思う。
とはいっても、入試は入試。どんな学生が欲しいなどと私情を言ってもしょうがない。

ブリストル大学では、とにかくお金の問題だ。生活費と高い学費がかかり、これを普通は教員側が工面する。
これを手当できる奨学金相当のものでイギリス政府から来る標準的なものがある(だまっていれば、そのようなお金が学科に降りてくるわけではないが、ここでは単純化してこのような言い方をする)。しかし、そのお金は、イギリス人の学生(永住権保持者を含むと思う)および、イギリスで学部教育を受けた EU の学生に限られるという大きなハードルがあった。

イギリスは、人口の割に優れた大学が多い。
約 6500 万人の人口に対して、オクスフォード、ケンブリッジ、Imperical College London, University College London をはじめとして多くの強い大学がある。そして、これら 4 強に限らないどの大学にも、イギリス人(および、上記と類似の条件での EU の学生)の博士課程学生をとれる枠はまあまあある。イギリス人で博士課程に行きたいと思う人は、そんなにたくさんいない。したがって、実際の枠の埋まり方はさておいて、私の教員目線としては、これらの枠の数ほど学生がいないという印象だった。

ブリストル大学には、博士課程を雇用する他のいくつかの仕組みもあった。
例えば、中国とブリストル大学の間の協定で、双方がお金を出し合って、ブリストル大学に中国人の博士課程を毎年数十人入れる、という新しい枠組みがあった。ただ、私は、それもうまく使いこなせなかった。この枠組みで私を指導教員として内定を得るまでこぎつけた学生がやっぱりイギリスに行くのをやめることにしたり、他のほぼ内定した学生が書類不備で最後で落とされた、などの事例があった。
結局のところ、私のリクルート実力の不足である(それは東大についても同じだ)。
私の履歴書を見ると、ブリストル大学で博士課程を指導した業績があるが、それは副指導教員などとしての役割である。

バッファロー、ないしアメリカの大学一般では、teaching assistant (TA) という仕組みがある。
これによって、国籍を問わず、一定数の博士課程学生の供給がある。
指導教員を選ぶのは、個々の TA 学生であるが、TA 学生が私のグループで研究をしたい、と思えば、指導教員が受け入れればできる。
また、競争的研究費を獲得できれば、それを使って research assistant (RA) として学生を雇うのも一般的だ。
TA も RA も、学費と生活費が工面される。

競争的研究費は、日本にもイギリスにもある。ただ、日本とイギリスでは、競争的研究費を確保することが、ポスドクの雇用にはつながるかもしれないが、博士課程学生を増やすことにはあまりつながらないと感じる。イギリスでは、博士課程学生を雇うのに使ってよい個人研究費にかなりの制約がある。
日本については、間違っていたら日本の大学人の方に正してもらいたいが、研究費が潤沢な研究室にたくさん博士課程学生が集まるということはあまり聞かない(もちろん、実験系だったら、研究費と実験環境の充実度は関係しているかもしれないので、学生は研究費が多い研究室に行きたがるかもしれないが、私はよく知らないので)。

2人卒業してもなお、私が指導する博士課程学生は6人いるので、今後も博士号がコンスタントに出そうだ。
今回の2人を含め、色々な国籍や文化の学生がいて、彼らの将来の軌跡が楽しみだ。

2021年11月1日

テニュア(終身在職権)と教授昇進の審査

2020年度(アメリカなので、2020年8月〜2021年5月)にテニュア(終身在職権)と教授昇進の審査を受けた。 これについて、話して差し支えない範囲で述べる。

拙著「海外で研究者になる」にも詳しいが、テニュアは我々の生命線だ。これが取れなければ、いつにでも大学を追い出されうる。私の場合、このテニュア取得に失敗したら失職である。

就任2年目にテニュア審査をされることになっていた。

教授になることは大目標だったが、2年目にはとにかくテニュア審査が行われる。
なので、教授昇進審査は3年目以降の機が熟したタイミングを狙うだろう、とずっと考えていた。とはいえ、実力的には機が熟したとしても、学科長が変わると、次の学科長や情勢によっては教授昇進を諮ることが難しくなってしまうことが一般的にある。なので、非常に優秀でサポートも強い現学科長の任期中(私が赴任してから5年以内くらい)に教授審査に進めると嬉しい、とおぼろげながら思っていた。

そのような予想に反して、学科長は、私に興味があればテニュア審査と同時に教授昇進審査も行おう、と提案してきた。
興味がないわけがない!

この提案が行われた大きな一因は、テニュア審査や昇進審査はすごく大変だからだ。
以下で垣間見るように、評価は複雑かつ多角的で、日本の昇進審査と比べてかなり多くの人を本気で巻き込む。
「本気で」というのは投票のみの役割よりはかなり重い役割、という意味だ。

多くの人を本気で巻き込むことの最たるものは、自分の大学外のたくさんの専門家に、私の評価書を書いてもらう過程である。
教授昇進審査なので、助教や准教授ではなくて教授の人に評価書を書いてもらわなければならない。
しかも、共同研究者などのように自分の息がかかった人であってはならない。
さらに、自分の専門とかなり近い人である必要がある。ちょっとした評価書なのではなく、書くのに相当時間がかかるであろう、濃密な評価書だ。すると、そのような評価書を書いてくれる外部の(助教や准教授ではなくて)教授が何人いるか、ということになる。

そんなにたくさんはいるまい。なので、ある年にテニュア審査をやると、評価者の候補リストをかなり使い果たしてしまう。
テニュアは取れたとする。
次の年に同じ人物の教授昇進審査をしようものなら、また評価書をたくさんお願いしなければならない。
ここで、同じ評価者に2年連続で頼むのは難しそうなのだ。
大学としても、前年のテニュア審査のときの評価者とは違う評価者の評価を使って、教授昇進審査を行う方が、評価の独立性という意味でより望ましそうだ(裏はとってないが、そう推測する)。
テニュア審査と昇進審査を同時にやれば、評価書を共通で使えるので、評価者枯渇の問題を避けられる。また、審査を2つ別々に走らせるわけではないので、その意味でも利便性がある。

ただ、私は一つのことが気になった。それは

「増田はテニュアには値するが、教授には値しない。」

という結論を有りにしてほしかったのだ。
読者のみなさんは、「教授になりたいのに、教授になれなくてもいいのか。」と思われるかもしれない。
そういう話ではない。

「この人は教授としてテニュアに値する。」

「この人は准教授としてテニュアに値する。」

は基準が異なる。後者の方が要求レベルが低い。
テニュアと教授昇進を同時に審査されると、両方OKか、両方ダメか、の2択とも受け取れる。
私はそれでは困るのだ。
教授昇進に失敗しても首は取られない。
しかし、テニュア取得に失敗すると首をとられる。
教授よりは首が優先事項だ。
教授は私にとっては高い壁だったので、いくら周りの人が「君なら教授も大丈夫。」とか言ってくれても、全く安心できない。なので、

「教授昇進には失敗したが准教授としてのテニュアはあげます。」

という結論を第三の結論として審査委員会に明確に持っておいてほしかった。
丁寧に学科長と話しあって、この第三の結論は有りだし、ちゃんと審査員が理解するようにする、という旨を確認して頂けた。

さて、テニュアにしても教授昇進にしても、どのような場合に落ちるのか、とシミュレーションしてみた。一番可能性が高い落ち方として思ったのが、1〜2人の外部評価者が辛辣な評価を書いてくる場合だ。
どの大学のこういう審査でもそうだが、評価を誰にお願いするかを決めるのは例えば学科であり、候補者はその決定には参加できない。
上述したように、評価者は候補者と近すぎてはならない。共同研究者等はダメ。
また、候補者には評価者の名前は知らされない。
というわけで、評価者は、候補者の弱い部分も含めて遠慮なく評価を書ける。大学の審査委員会としても、そのようにしてほしい。

評価者がたまたま私と仲の悪い人だったら、、、と思うと、背筋が寒くなる。

ここで、「敵は作るべからず」という大事な教訓が導かれる。

また、私と個人的には険悪でなくても、誰に対しても不当に厳しい研究者、というのがたまにいる。そういう人は、業界でも嫌われていることが多い。ただ、どの教授がどういう性格か、は研究分野が異なると知らないことが多いし、同じ研究分野の人でも知らないことがある。なので、学科が情報を持っていなければ、そういう教授にも評価依頼を送ってしまうかもしれない。
これを常日頃の努力で私が防ぐのは不可能だと思うが、やはり背筋が寒くなる。

評価を書いてもらうために、数ヶ月の締め切り期間が設けられる。
評価者も忙しいし、外部の方だし、ボランティアなので。

また、学科内部で、この人をテニュアや教授昇進に進めてよいか、という会議なりがある。
次には、(学科の上に位置する)学部レベルの委員会でもそういう会議なりがある。

公表されていることとして、学部レベルのテニュアや昇進の会議において、私が擁護者 (advocate) を指定できる。
この学部レベルの会議では、学科長が、私の昇進伺いを数学科として学部に説明する。これは、日本の大学でもよくある光景だ。
ただ、少なくともニューヨーク州立大学バッファロー校においては、学科長以外に擁護者が会議に出席する。
擁護者は、例えば難しい質問や辛辣なコメントが来たときに、「いやいや、そうではなくて増田は○○△△だ。」と候補者を防衛してくれる。
したがって、誰に擁護者をお願いするかを決めたり、お願い(はフォーマルなレターを通じて行うことになっている)の作業などがある。

また別のこととして、どこかの段階で、それなりに多い数の学生から、私の評価書を集める。私の授業をとった学生や私が指導している大学院生などに(候補者からではなく)学科からお願いをする。

こうして、審査には丸1年かかる。テニュアと教授昇進を同時に諮ったから1年かかるのではなくて、どちらか片方だけでも1年かかる。そして、上で説明したように、その過程でとても多くの方を煩わせる必要があることに正直驚いた。
イギリスでは、昇進審査において、確かに他大学の教員に評価書をお願いする。ただ、その数はアメリカよりかなり少ない(評価者の人数は微妙な情報なので書かない)。また、審査の他の部分は、かなり少人数で進む。

我が数学科には30人のテニュア取得前+テニュア取得済の教員がいる。ごく普通の大きさの学科だが、このくらいの大きさの学科になると、毎年誰かしらのテニュア審査や昇進審査が走っている、といって過言ではない。これらは基本的には学科長が主導する。

テニュア審査は、基本的には決まったタイミングで起こる。私なら赴任2年目と決まっていたし、新任の助教なら6年後くらいのあらかじめ決められた年に起こる。(後者の場合、アメリカでは、テニュア審査に通ると必ず准教授に昇進する。他国では、昇進を伴わないテニュア審査、という制度を持つ大学がたまにある。)
しかし、業績が早く出たので、 6年待たずにテニュア審査(+准教授への昇進)を試みることがある。また、准教授から教授に昇進するのは、必須ではないので、タイミングや成功率の見極めで試みることになる。
アメリカには教授の定員がないので、教授を多く作れるほど学科は少しでも強くなると言えるだろう。また、6年待たずにテニュア審査に通る人がいれば、昇進した本人のみならず学科の評判にとっても追い風だ。
ただ、出せば通るわけではない。特に、学部レベルでの会議で他の学部の委員も同意しなければいけない。
なので、学科長のセンス、リーダーシップ、実務力、行動力が問われると思う。
学科長は大きな仕事だ。

2021年10月2日

グリーンカード

2021年9月初旬に自分と家族全員分のグリーンカードが来た。
アメリカに永住可能である。

本記事では、グリーンカード取得までの私の経験について述べる。
この話題については、日本語でもたくさんの情報がすでにあるが、以下、既存の情報源には書いてない情報もあると思う。

私の申請の特徴は、大学教員という身分で申請したことである。
研究がそれなりに強い大学の教員は、グリーンカードを取りやすい。(研究よりも教育を重視している大学については、知らないです。)
したがって、今から述べることは、アメリカで大学教員やそれに比較的似た立場でグリーンカードを申請する人以外にはあまり役に立たないかもしれない。
一方で、半分以上のことは、待ち時間の長さも含めて、グリーンカード申請を行う日本人一般に共通する(かつ、他の情報源にも書いてありそう)と思われる。

さて、私と家族がアメリカに来たのは2019年8月である。
なので、2年で永住権を取れたことになる。
2年でくれるというのは、ありがたい。
私と家族は、イギリスに行ってから6年目にアメリカに引っ越した。
イギリスでは、住み始めてから6年目に永住権を申請できるので、その直前でアメリカに来たことになる。
イギリスでは、住み始めていきなり永住権を申請しましょう、とはならない。
アメリカでは、住み始めていきなり永住権を申請した。

そうしたのは、私のテニュア(=終身在職権)発効のためには永住権が必要だからである。
テニュアは、要するには、大学に終身雇用で居座れる権利である。
私のテニュア審査については、次回のブログにでも書きます。

私の大学(ニューヨーク州立大学バッファロー校)では、テニュアの審査に通ったとしても、アメリカ国民またはグリーンカード保持者でないと、テニュアが有効にならない。テニュア審査に通れば、グリーンカードが届き次第テニュアが有効になる。

これは全米の決まりごとではない。
私立大学ではテニュアに永住権は必要ないようだ。
州立大学でも州によってはこの規則がないと聞く。
ニューヨーク州の州立大学では必要、ということだ。

私の場合、テニュア審査が、アメリカ赴任2年目に行われることになっていた。
なので、アメリカに就職してからなるべく早くグリーンカード申請の作業を始めたかったし、大学もそれを期待していた。

まず、大事な前提として、アメリカには「何年住んでからでないと永住権を申請できない」というイギリスのような仕組みがない。
それは、アメリカが能力主義的な国であることを反映しているように思う。
アメリカでは、私が就職しうるような大学(したがって、私の実力では就職できないようなトップ校に限らず、アメリカの上位150校くらいの大学も含む)の大学教員が、優先度が高い職として見なされる、と感じる。
イギリスでは、大学教員の身分は、アメリカよりはかなり低いと感じる。
イギリスでは、大学教員だったから何々がよかった、ということは起こらなかった。
(イギリスの良い所は色々あるが、自分の職業とは関係せずに良かった、ということ。)

グリーンカードを申請するカテゴリーとしては、EB-1 からEB-5 までの5つのカテゴリーや、アメリカ市民やグリーンカード保持者の家族というカテゴリー等がある(ウェブに日本語で色々情報がある)。
大学教員の場合、EB-1 という有利なカテゴリーで申請を出せる。

大学に移民(=イミグレーション)関係を扱うオフィスがある(イミグレ・オフィスと呼ぶ)。
そこに、イミグレーション専門の弁護士1人とアシスタント1人からなるチームがある。
このチームにお世話になって申請を行う。
彼らが申請作業をしてくれる。

私がEB-1に値することを主張するために私がイミグレ・オフィスに提出しなければならない書類が膨大だった。
イミグレ・オフィスの経験と判断で提出書類を決めているのだろうから、きっちりこの通りの提出書類を揃えなければグリーンカードを取得できない、というわけではないと思う。
ただ、私としてはイミグレ・オフィスを神頼みしているので、全て言われた通りにする。

例えば、

  • 自分の論文を引用している論文150本の全ページ片面コピーを用意し、それぞれの論文の中のどの箇所で私の論文が引用されているのかを黄色でハイライトする。
  • 私の論文全て(150以上ある!)のコピー。
  • 私が行った論文査読(=他人の論文の質を審査すること)について、論文誌からの査読依頼メールと、査読をしてくれたことに対して論文誌から来るお礼メールの全てのコピー。
  • 8人の大学教授からの推薦状。
紙で提出するので、何千枚となり、提出物を私のオフィスからイミグレ・オフィスまで台車でガラガラと運ぶ。

他にも、一般的なグリーンカード申請書類があったはずだが、それはイミグレ・オフィスがやってくれた。

  • イミグレ・オフィスから準備すべき書類の指示を受けたのが2019年11月。
  • 私がイミグレ・オフィスに全ての書類を提出したのが2020年1月。
  • イミグレ・オフィスが、チェック等を済ませて、国のグリーンカードを扱う部署 (USCIS) に全ての書類を郵送したのが2020年3月。

そこからは辛抱強く待つ。
11月初旬に、次の段階に無事に進めた、という知らせがイミグレ・オフィスから来る。
すると、次の段階の書類をすぐに準備しなければならない。
この段階では、自分が EB-1 に値するすごい人ですよ、という主張をする必要はもうなくて、
誰もが同じような書類を提出する(書式 I-485 など)。
準備した付随資料の例は、

  • 自分と妻の学位の証明書。
  • 自分と妻のアメリカの銀行口座の残高履歴。
  • 自分と妻のクレジットスコア(借金しないでちゃんとやってるか、借金したならちゃんと順調に返済しているか、とかそういうこと)。
  • 戸籍謄本の英訳証明。
他にもたくさんある。

妻のクレジットスコアは、手強い書類の例だった。
私の場合、H1-B ビザで働いていた。
妻は必然的に H4 ビザ(H1-B ビザの配偶者や子どものためのビザ)である。
H4 ビザの人は、social security number (SSN) を作れないことになっている。
アメリカでは、SSN がないと色々不便である。
妻が SSN なしで自身のクレジットスコアを入手することはかなり困難だった。私が色んな所に電話したり手紙出したりの泥仕合。

戸籍謄本の英訳証明も手強かった。
友だちでも証人になれるのである。
しかし、公証サインの手続きを経なければいけないので、友だちに予約をとって郵便局に行ってもらって、公証サインの作業をしてもらってくる、など友だちを煩わせることになった。

もうひとつの大きな難関は、予防接種の証明(書式 I-693)だった。
我々は日本から始まってイギリスを経由してアメリカに来た。
アメリカでは、私達の学区では、小中学校に入るために、指定された予防接種を全て受けていなければいけない。
そうでないと、入学が許可されない。
なので、子どもたちは基本的に諸々接種済だと思っていた。それでも、このグリーンカードの基準に照らすと、欠けている接種もあった。ましてや、大人は、色々な接種が欠けている可能性が高く、実際に欠けていた。

そして、予防接種の証明書式 I-693 は、USCIS 指定の医者に埋めてもらわなければいけない。これには保険が適用されなくて、1人200ドル(したがって、5人で1000ドル)かかった。
この医者は、色々体を診察するわけでは基本的になくて、接種記録を照合して「この接種とあの接種が欠けているので、早急に接種を受けて証明書類を持ってくれば、I-693 に反映する。」と言う。
大学から指定された締切があったので、神経をとがらせながら、このようなやりとり、接種を行った。
大学が私に対して締切を指定したのは、いついつまでに出せば優先権がある、という理由からである。
この優先権は USCIS が決めている。
ただ、私は、イミグレ・オフィスからこの説明を何度聞いてもよく分からなかった(英語のせいじゃないです)。

こんなことを経て、全ての書類を2020年12月にイミグレ・オフィスに提出した。
イミグレ・オフィスは、同月中に書類を USCIS に郵送した。

私一人分の申請料は大学が費用を持ってくれた。
私の雇用契約書にそう書いてあるのだ。
家族残り4人の分はもちろん自腹で、このタイミングで4000ドル程度を大学に払った。
ここまでで、上述した接種の証明代金の1000ドルと合わせて、約5000ドルかかっていて、これが主な費用である。
私の感覚では、これは安い。
なぜなら、イギリスでの永住権の申請は、その3〜4倍かかるのだ(一人につき4000ドル程度)。

2021年3月に、私が大学経由で送った4000ドル程度の小切手を USCIS が換金したことを、私の銀行口座で確認できた。
ゆっくりながら進んでいる、といったところか。
そして、4月下旬に USCIS からいきなり手紙が来て「指紋と写真をとるので5月X日のY時に USCIS のバッファロー・オフィスで全員で来なさい。」という。
これに行く。

これが終わってもグリーンカードが取れることが保証されているわけではない。
したがって、落ち着かない気持ちは何も変わらない。
大学のイミグレ・オフィスに、無事グリーンカードが許可されると仮定するといつ頃グリーンカードが届きそうか聞いてみた。

「12〜29ヶ月」

との回答。
これには理由がある。
USCIS には、オフィスごとの待ち時間がどれくらいであるかを示すウェブサイトがある。
そこには確かに12〜29ヶ月と書いてある。
ただ、この12〜29ヶ月がどこから起算して12〜29ヶ月なのかよく分からない。
この情報がどれくらいの頻度で更新されているのかも分からない。
ウェブで調べても分からなかった。

ところで、この指紋と写真が終わったら、アメリカ国外に出ることができる、という。
そう。イミグレ・オフィスから「申請中は国外に出てはいけない。出たい場合は、手続きがあるのでイミグレ・オフィスに連絡するように。」と言われていたのだ。
研究者には海外出張がつきものなので、海外に出れないことは、仕事上大きな支障を伴う。
ところが、コロナで、2020年3月以降、全く海外に行く用事がなかったので、実害を被らずに済んだ。
家族としても、コロナ下でそもそも海外に旅行できないので、実害を被らずに済んだ。
ところが、2021年の夏には、仕事で日本に行く計画(できれば行きたいという計画)があった。指紋と写真が終わって国外に出ることができるようになったので、急遽日本行きのフライトを買ったり、仕事の受け入れ先と詳細を詰めたりした。

ただし、国外に行くためには、大きな条件が一つある。

「グリーンカードがもしアメリカの家に郵送で届いたら、それを誰かに頼むなどして私達が滞在している場所(例えば東京)に送ってもらわないと、アメリカに再入国できない。」

うーん。
それでも、我々は日本に行くことにした。
USCIS には、このくらいの段階まで進んだ申請者については、申請の進み具合をチェックできるオンラインの追跡システムがある。
なので、グリーンカードがアメリカの我が家に発送されたかどうか、いつ届くのか、ということは、日本にいながらにしても分かるのだ。
ただ、このウェブサイトがどれだけ信頼できるのか、は気になった。
結果的には、このサイトの情報は、とても精度が高かった。

2021年9月4日までに全員のグリーンカードが届いた。
妻は、EAD という「グリーンカードがなくても労働をしてよい」というカードがグリーンカードの数日前に届いた。
労働には基本的に social security number が必要なので、social security number のカードも EAD カードと同時に届いた。
ただ、実際には、グリーンカードがあれば EAD カードは必要ない。
すなわち、グリーンカードがあれば、アメリカで働ける上に、永住をできる。
EAD カードでは永住はできない。
なので、EAD カードがグリーンカードの数日前に届くことには、実利はない。
これはおやくそくのパターンで、そういうものらしい。

USCIS は、コロナで仕事の速度が制限されていたので、普段よりは遅かったようだ。
とはいえ、グリーンカードには何年もかかるよ、とよく聞くので、最初の申請書類を送ってから17ヶ月で取れたのは、助かった。
アメリカに引っ越すとき、テニュアを得ること、アメリカで競争的研究費を得ること、教授になること、グリーンカードを得ること、の4つが当面の大目標だった。ちょうど2年で全部クリアできた。
テニュア以外の3つの目標のいくつかには4〜5年かかる覚悟だったので、助かった。

大学のイミグレ・オフィスの弁護士とアシスタント(彼らは大学のサービスなので、彼らを使わせて頂いたことに対しては、私は費用を払う必要がなかった)、手続きを迅速にすすめてくれた学科長、推薦書を書いてくれた8人の先生、公証サインの作業を引き受けてくれた2人の日本人にとりわけ感謝である。

2021年9月1日

やっとご教授

2021年9月付けで准教授から教授に昇進した。

私の気持ちは、「長かった。。。」の一言である。

私は32歳で准教授になった。
これは日本では速い方だ。
欧米では、そもそも准教授の意味が日本と違うが(それについては拙著「海外で研究者になる」も参考になるかと思います)、32歳で准教授になるのは速い方だ。

ところが、そこから13年かかった。13年!

日本の大学では、13年かそれ以上准教授をやってから教授に昇進することは、それほど珍しくない。
その理由の一つは、(ここ数年の動きはよく知らないが)日本の国立大学では他国にほぼ例をみない教授定員制が敷かれていることである。
例えばある学科の教授の定数が10であるとする。
このとき、一人の教授が引退したり他の大学に異動しない限り、新しい教授を1人外から採用したり、中にすでにいる准教授を昇進で教授にしたり、といったことができないのだ。

「13年で長いとは何とぜいたくな!」と思われるかもしれない。
しかし、私の日本にいた頃からの友人・知人を見ていると、かなりの割合の人が、私よりも若い年齢でどんどん一流大学の教授になった。
30代で旧帝大の教授になった友人・知人が多くいる。
40代前半まで数えるともっといる。
肌感覚的には、実力がある人のそういう早い昇進は、昔より多く起こっている気がする。

人は人、と思いたいけど、さすがに、これはプレッシャーになった。

海外でも、同様のプレッシャーを感じた。

海外では、教授の定数がないことが普通だ。
したがって、准教授になってから教授になるまでの年数は、統計をとったわけではないが、欧米の方が日本よりも短いように感じる。
准教授になって5年かあるいはそれ以下で教授に昇進していく人をたくさん見た。

准教授のまま生涯昇進しないことは、欧米では日本よりも多いと思うので、教授に早く昇進する、というのは、教授に昇進した人に限定すると、という意味です。

私は東大で准教授を5年半やって、イギリス・ブリストルで准教授相当を5年半やって、アメリカ・バッファローで准教授を2年やって、昇進した。
長かった。

教授は肩書に過ぎない、という人もいる。
また、教授は准教授よりも諸業務が多い、というのは本当だ。海外でも、程度こそ違えどそうだ。
なので、教授になりたくない、教授になるのをあえて避ける、という人もいて、それは一つの選択だ。
私にとっては、教授になってそれ相応の責任なり期待なりを背負ってやっていくことは、むしろ仕事人生の重要な目標の一つであった。
教授じゃないとできない、やりにくいことがいくつもある。
40歳頃からそう思っていて、したがって、40歳頃から教授に成れない感がくすぶっていた。

なかなか昇進できなかった理由は2つあると考える。

理由1:日本を出たこと。実は、ありがたいこととして、日本のいくつかの強い大学から、「うちで教授になる興味はありますか」というお誘いを頂いていた。一番早くは36歳でそういう話を頂いた。しかし、その頃はもう海外に挑戦すると決めていたので、失礼ながらもお断りさせて頂いたのだった。

理由2:イギリスで競争的研究費が取れなかったこと。私がいたブリストル大学や私のいた学科に限ったことではないが、多くの大学や学科で、外部研究費を獲得することが、昇進への至上命題である。日本と同様に、応募書類を書いて競争的研究費の獲得を目指すのだが、これの敷居がとても高かった。私には高すぎた。 イギリスでは、自分の研究分野が属する「複雑系」という分野について、国からの研究費が減らされることが2016年に決定された、という事件もあった。 また、アメリカと比べると、イギリスでは正しい人脈に属していないと研究費を取りにくいと感じる。

負け犬の私がこう言うのは、単なるひがみかもしれない。ただ、以下のような観察もある。

  • 私より少し若い、ブリストル近隣の大学にいた共同研究者が、彼の学科のリーダー達に研究費獲得のコツを聞いた。いの一番に言われたのは、「どこかの『グループ』に入っていない限り、一人で出しても取れないから。」
  • 私は、アメリカに来て、アメリカの企業の研究費(これも競争的)と国の研究費が1.5年で合計1つずつとれてしまった。幸運もあったが、イギリスのときの苦労は何だったんだろう。
  • イギリスで研究費が取れなかったのは自分だけではなく、自分より凄腕の同分野の研究者たちもおしなべて苦労していた。それは、先に述べたように「複雑系」研究分野への投資が減ったことと関係しているかもしれない。研究費が取れていない人が多くて、研究業績がすごくて人柄も素晴らしい割に昇進が極端に遅かったり、昇進できなかったり、ということを見てきた。

    いっぽう、異なる分野間で比べることはできないが、AI、ロボティクスといった人気分野では相対的に競争的研究費を獲得しやすい。したがって、そういう分野にいる人は、自分が観察している限り、昇進が早い傾向があった。 裏を返せば、これこれ分野の研究者は、イギリスの大学に就職することによって伸びしろが期待できる、と言えるかもしれない。

さて、イギリスからアメリカに私が異動した原因として、経済的に難しかったことを以前のブログで書いた。
それに加えて、イギリスでは教授に昇進できる見込みがないと思ったのも、異動したかった一因である。
教授になると給料はある程度上がるので、この2つの要因は関係してはいる。
しかし、それだけの関係ではない。
教授になるためには、研究費を獲得しなければならない。
そして、研究費が獲得できるかどうかは、自分の実力だけではなくて、その国に総額でどれくらいの研究費があるか? 自分の研究分野にどれだけの研究費が配分されるか? にも依存し、結局は国全体の経済状況にも依存する。 そういうことが厳しい状況でも、本当に強い研究者はそれでも研究費を獲得することができる。
なので、自分の実力のなさが原因である、という理解に落ち着くことは、むしろ簡単にできる。
しかし、私はそう納得してしまうのは得策ではないと考えた。
「ああ、イギリスだと研究費が少ないから(仮にそれが事実だとして)最近は教授になるのが難しいよね」という同情を得たとしても、その論理が通るのはイギリス国内のみである。
他国を見れば、そんなことお構いなしに、どんどん研究費の配分や昇進が起こる。

根が同じ問題に、イギリスでは、少なくとも私の部署では博士課程学生を採ることが金銭的に難しかった、という事情があった。
博士課程学生を何人育てたか、は、昇進審査でもそれなりに重要視される。研究者の履歴書の中で、国際的にはそれなりに重要な項目だ(日本ではさほど気にされないかもしれないが)。
博士課程の学生の数も、例えば大学に博士課程学生を雇う(はい、日本以外の国では、基本的に雇用です)財政的体力があるか? 自分が研究費を獲得して自力で博士課程学生を雇うことができるか? の2つに依存してくる。
イギリスだと、博士課程の学生を雇う競争的資金については、グループで応募するものが圧倒的に多い。
したがって、自分が学内でどのグループに入れるのか、周りの人が強くて頼りになるか、自分の研究分野で学内グループを作ったときに国がお金をくれそうか、といった要因にも依存する。

博士課程学生は研究作業をしてくれるので、博士課程学生がいなければ、自分の研究が進むことも難しい。
すると、自分の履歴書はやせ細り、自分の研究出力もやせ細る。
そうなれば、研究費を獲得することもさらに難しくなる。
負のスパイラルである。

アメリカに頑張って異動したことは、結果的に成功だった。
2年で教授にしてもらえたし、研究費もとれたし、指導している博士課程学生は8人もいて、その質にも特に不満はない。
アメリカの大学が向いている人とイギリスの大学が向いている人がいる、ということだろう。

2021年1月25日

バンガードの投資

コロナ社会になってから、そろそろ1年。
ブログは1年に2個くらいは書きたいと思っているのに滞っていたのは、忙しいからではない。ネタがないからである。
私は、コロナ下では、ブログに書きたいようなことがなかなか思いつかない。
とはいえ、コロナ下で、何も始めなかったわけではない。

注:日本では「禍」と書くことを最近知りました。知らずに「コロナ下」と書いてある記事を出しちゃいました。私は「禍」より「下」と言いたかったので、構わないのですが。

その1つが投資である。
イギリス在住時には、色々調べるところまでは行ったが、余裕がなくて始められなかった。
Vanguard というアメリカの大手の投信会社に口座を開いた。
ノウハウは日本語でも色々な情報が出ているので、私が付け足すべきことは何もない。
私は、岩崎淳子氏のブログを済から済まで参考にした。
Vanguard についても色々書いてあるが、他の記事も大変参考になり、あえてここで引用したいブログである。

さて、Vanguard に対する一番の感想は「ものすごい簡単」。

自分の銀行口座と紐付けることができる。
例えば $3000 の投資商品を買うと決めたら、代金を Vanguard に入金する必要がある。
このお金の移動が自分の普段使いしている銀行口座から、手数料なしで、かつものすごく簡単にできる。

また、細かい所は追いきれないけれども、全体としては操作や提供されている情報が十分に分かりやすい。

次に、評判通り、手数料がすごく安い。
手数料は Vanguard に限らず年々安くなっているそうなので、私が日本で少し投資をやっていた(少なくともそういう情報を見ていた)十年位前と比べるのは公平でないが、本当に安い。
軽く調べたところ、日本から Vanguard の投資商品を買おうとするには、日本の証券会社とかを通してやるようですね。
そういう証券会社が手数料を上乗せしてくるのかどうかは、気になりました。

投資信託をいわゆるアクティブ型とパッシブ型に分けると、Vanguard は基本パッシブ型である。
アクティブ型は、S&P500 のような株価指数のさらに上を行くことを目指して、色々株(など)の混ぜ方を変えたりする。
パッシブは、株の混ぜ方をいじることに手間暇(つまりは、手数料のコストとなって跳ね返ってくる)をかけずに、S&P500 と同じように伸びていけば良いと考える。
パッシブ型の考え方は、投資に対しては正しく平均値をやっておくこと以上に興味がない私にぴったりだ。

始めてから2ヶ月程度しか経っていないが、パッシブ型の投資が走り出して普通の軌道に乗ると、退屈だ。
なぜなら、基本、いじる必要はない(追加投資したいのなら別だが)。
というか、むやみにいじってはいけない。
リーマンショックが来ようがコロナが来ようが放っておく。

あえてそこに躍動感(!)を探そうと思って見てみたのは、手数料の境界線である。
日本の定期預金とかにもたまにあるが、1つのもの(ここでは投資信託)を何とかドル以上まとめて買うと手数料が安くなる、という境界線がある。
これを1つの目標にして積立を増やしていくのも良いかとしれない、と一瞬考えた。
しかし、日本で言う金持ちでない限り、この境界値は参考にならなそうだ。
Vanguard の投資信託は、1種類 $3000 からが普通である。そして、より手数料が安くなる境界がある場合は、多く(全てかもしれない。知りません)が $50000 である。
これは流石に大きい。
ただし、$3000〜$50000 の範囲で買っていても、すでに述べたように手数料は安いと感じる。

なので、私の中での投資ブームはわずか2ヶ月で終わった。
もちろん「やめた」という意味ではない。
気になっていたことが1つ片付いた、という気持ちである。

2020年2月26日

進路相談

拙著「海外で研究者になる」を読んだ、という日本の大学学部2年生のAさんから、進路相談のメールが来た。
なかなか熱い内容だったので返事した。
やりとり(編集済)をここに載せます。
Aさんも快諾済です。

大学の教授職を目指しています。
自分も海外で研究者として働いてみたいと強く思いました。
大学を退学して、海外の大学に入り直そうかと考えています。
本でも触れられていた、英語が堪能であることが面接、論文、研究費獲得等において有利であることを踏まえて、若い今の時期から海外で過ごしたいと思いました。
アメリカやイギリスは金銭面や入試制度の理由で難しいので、オランダかスウェーデンの大学を考えています。
自分でお金を稼いだ経験も乏しいのに親等から借りることは申し訳なく思うので、この春に大学を退学して1年間働くことも考えています。
そうすれば金銭的な面でも問題なく入学できると思うのですが、そのあとに入学するとなると、中退しないで今いる大学を卒業して(どこかで)博士課程を取得するのと比べて2〜3年ほど遅れます。
遅れるデメリットを考えると、早く海外に行くことと、今いる大学を卒業することのどちらを優先させるべきでしょうか?

これは答がないですね。
日本でストレートで博士を卒業すると27歳です。
そこから1年遅れ、2年遅れ、と数えることが日本では多いと思います。
しかし、海外でそれを気にする人はあまりいません。
海外PI(=海外の大学教授系の職)就活戦線でも関係ないと思っていいでしょう(もちろん、10年遅れとかだったら影響すると思うけど)。
なので、29歳や30歳までに博士をとろう、と考えでも十分ではないでしょうか。

あと、一般論だけど、Aさんが大学を退学・休学して1年で稼げるお金の量は、大きくないです。
100万円、200万円貯めても大きくないです。
オランダやスウェーデンは素敵な国だと思うし、学費がタダなら(私は知らないです)それに越したことはない。
でも、生活費を自分で出すなら、100万円だと1年ももたない?
学士号をまだ持っていない人が日本で仕事をして貯金をしても、海外での大学卒業までお金が足りるのかな、と正直懐疑的に思います。

博士課程は、学部と修士課程をどの国で学ぶかは関係なく、アメリカの大学に入学する予定です。
親は、今の大学でも十分学べるし、大学院で海外に行ってもいいのでは、と考えています。
自分も、日本の慣れている環境で学ぶほうが吸収も速いと思いますが、将来海外で働くとすると、早いうちから海外に行くのは大きなメリットだと感じています。

なるほど、全て腑に落ちます。

どの程度のメリット・デメリットがあるかは自分ではまだ把握できないのですが、増田さんはどのように感じますか?

イギリス、アメリカで学生と接していて感じることなど、些細なことでも教えて頂けるとありがたいです。

オランダやスウェーデンは学部の教育を英語でやってるのかな。
私は純粋に知りません。オランダ語やスウェーデン語だとすると、きついでしょう。
あとは、学費と生活費ですね。最低限大事なことは。

僕だったら、あと2年くらいの学部生活を日本で「すごく」有効に使って、アメリカの大学院の博士課程にいかに入るか、に注力する。
学部をAさんの今の大学で卒業するとして、

  • いきなりアメリカのどこかの大学で、博士課程学生として雇用してもらえる。
  • 大きな費用がかかるけど海外の修士号を1年または2年(国による)で取って、それを武器にアメリカのどこかの大学で博士課程学生として採ってもらえるか。
    この選択肢の場合、お金の問題はある。
  • 日本の上位の大学の修士課程に入学して、修士号を取る。それプラス強いCV(履歴書)を武器にアメリカのどこかの大学で博士課程学生として採ってもらえるか。日本の学費が安いので、総費用は安い。

    この3つのどれかを、私なら考えます。

    私はアメリカに来て学生の選抜とかも知るようになりました。
    審査側は、まず、学部のGPA(成績)はよく見てるように思います。

    学部(や修士課程)のGPAが良くて、願書の研究計画書もよく書けている、とします。
    しかし、Aさんの大学は、海外では知られていないし、そもそも、Aさんは国際的にはどういうつながりがあるんだろう、と受け取られると思います。
    色々な国の人がうちの大学の博士課程に応募してくるときもそうです。
    GPAが高い外国人候補者は多くいるのですが、英語力、適応力、色々なものが謎すぎるのです。

    しかし、そこに、海外、特にアメリカならアメリカにいる大学教員(海外にいる日本人の大学教員もそれなりのプラスにはなるでしょう)からの推薦状が1, 2通あると風景ががらりと変わります。
    それに加えて、国際学会(あるいは小さめのワークショップでもよい)で発表した、1本の論文の著者に名前が入っている、となると評価は一気に上がってくると思います。そうなってくると、少なくとも出身大学の影響は薄れてくると思います。
    とくに、筆頭著者の論文が1本でもあると強い。

    これらを踏まえると、

  • 成績をとにかく良くしておくこと。Aが何個、Bが何個、というのがそのままGPAになる、といって大体正しいです。
  • 研究の経験を本気ですること。日本だと、学部生が研究する仕組みがあまりないのが辛いですね。正直、Aさんの大学だと、先生がさほど学部生の研究教育に熱心でない、あるいは先生本人がさほど研究できていない、という場合も結構あると思います。どうしたら研究させてもらえるのか。これは正しい人につけば、日本国内でも可能。
  • 海外の大学教員に推薦状を書いてもらえるようにするには、どう動けばいいのか。私の本の中では、中国人の学部学生が自費でサマー・インターンをしにアメリカの大学に行くという話を紹介しました(インタビューした先生の1人が話してくれた内容です)。これは、大きな財力なしにできます。
  • あと、海外PI就活の本はあまりないけど、海外大学院留学の本は多くあるので、読むとよいです。

    私もアメリカに来て半年に過ぎないので色々誤りもあると思いますが、参考になれば幸いです。

  • 2020年1月25日

    バスケ

    スポーツ大国アメリカ。

    我がニューヨーク州立大学バッファロー校(University at Buffalo なので、UB と呼ばれる)は、とりたててスポーツに強いわけではないと思う。
    ましてや、私立大学でない。
    しかしそれでも、フル規格のアメフト競技場がキャンパスにある。
    どでかいプール、さらにはそれとは別に飛び込み競技用のプールもある。観客席付き。
    そして、バスケットコート。
    ユーチューブやテレビで見れるNBAのプロ・バスケットボールの試合と何ら遜色ない(少なくとも、私の素人目には)。もちろん、大きな観客席付きだ。

    大学スポーツは1大ビジネス。
    大学はどれだけスポーツにお金を使っているんだ、とぼやく人がいるのもうなずける。

    子どもが通う地元の小学校には、時折、UBの試合の無料チケットが来る。
    これが来ると、小学校の生徒はタダ、保護者等はチケットを追加で買って見に行くことができる。
    試合を選べるわけではなく、この日のこの試合、と固定されたチケットが来る。
    UBの各ホームゲームで、この日の試合はこの小学校に無料チケット、次の試合はあの小学校、という風に巡回しているようだ。

    少し前に、この無料チケットを使ってUBのアメフトの試合を観戦した。
    ところが、、、試合がまず長い。
    そして、ほとんどの時間、試合の時計が止まっている。ごちゃごちゃ反則の処理なり、攻守交代などをしている。
    アメフトは、そういう感じらしい。
    好きになることは、すぐには難しそうだ。

    今度は、女バスの無料チケットが来た。
    行ってみることにした。
    正規で買っても、大人は10ドル、子どもは7ドル、と安い(私の場合、妻と私と中学生である長女の分は、買わなければならない)。

    なお、男子はもっと高い。
    他の多くの競技でもそうだが、男子の方が競技としては迫力に勝るだろう。また、UBの男バスはかなり強いらしい。
    しかし、うちの子どもは全員女。女バスを見せたい。
    女子の試合は、男子の試合と異なり全席自由席なので、すごく近くで見ることができるという隠れた長所も。

    私の子どもは、バスケットボールの試合を観たことはなかった。
    私の知識は、スラムダンクを100回位読んで知っていることのみ。
    あと、高校の女バス部は東京都でベスト8とかまで進んで強かったなぁ。

    いざ観戦。

    。。。。。かっこよすぎる。

    プロのNBAのテレビ放映そのままだ。
    スターティングメンバー表とか、統計・記録(誰が何を何点入れたとか)が色々ある。
    タイムアウトのときには、すかさずコマーシャルが流れる。
    メンバーの紹介ビデオも流れる。
    ホームゲームなので、味方が点を入れれば実況はすごく盛り上げ、敵が点を入れれば淡々と事実(「誰々が3点シュートを入れました」とか)だけをぼそっとした声で伝える。
    審判が納得のいかない判定をすると、監督がオーバーリアクションで審判に抗議(?)する。テレビの光景そのものではないか。
    ホームの選手は、試合後にサイン会を行う。結構行列ができる。
    試合はクオーター制。1クオーターが10分で、合計40分。
    クオーターとクオーターの間の休憩では、当然チアがたくさん出てきて、踊ったり、組体操したり、絶好調。

    いや、かっこいい、というのはこのようにプロの試合っぽいからではない。
    選手が、かっこいい。

    選手がでかい!
    選手名鑑が大学のウェブサイトにあるので、身長も分かる。
    UB女子は、出てる選手の大半が180センチ台である。センターとフォワードは例外なく180台。
    でかいっす。

    しかし、一番かっこいい(と、子どもも言ってた)のは、ガード。
    自分のスラムダンク辞書によると、彼女はポイントガードのはずである。
    身長は157センチ。一番大きい選手と30センチ違う。
    しかし、その彼女だけが監督から個人的に指示を聞き、円陣で残り4人の巨人たちに指示を出し、鼓舞し、攻撃は基本的に彼女から開始する。
    自分は素人なので、彼女のプレイの程度は、試合を見ていても全く分からない。ただ、40分間ずっと出ていたから、中心プレイヤーなのだろう。
    理系だったら、数学科に限らず数学の授業がけっこう必修なので、自分が数学の授業を教える可能性がある。
    しかし、理系ではなかった(他の選手にも、理系は一人もいなかった)。
    カナダ出身。

    そう、バッファローはカナダと国境を接しているので、カナダ人の選手が多い。また、選手名鑑を見ると、ドイツやイギリスからの選手もいて、レギューラーで出場している。アメリカ国内でも、選手の出身は色々な州にまたがっている。
    州外だと学費が高いから、彼女たちの大半は、奨学金をもらって入っていると推測します。

    この日の試合は、残念ながら敗戦。
    ただ、今日の時点で12勝5敗とある(当然、入れた得点、シュートの成功率、ファウルの数といったことは、各試合・各選手について詳細に書いてある)。
    子どもももう一度見に行きたいということで、来月にまた行く予定。
    正規で買っても家族5人で40ドル位なので、行きやすい。
    家族全員が楽しめる趣味はなかなかないので、その意味でもありがたい。

    2019年9月25日

    海外就活2

    2017年8月から、アメリカの研究大学を主なターゲットとして就活を行った。
    職種は大学教員。イギリスや東京のときと、職位はともかくとして同じである。

    「イギリスの大学じゃだめだったんですか?」
    「ブレクジットが理由ですか?」

    これらの質問を避けて就活だけを語るのは、しらじらしいかもしれない。
    一方、イギリスには自分や家族の友だちが多く生活している。

    理由は結局1つに行き着いて、私個人の経済である。
    肌感覚に過ぎず、数字の裏をとったわけではないが、イギリスにいた間、物価全体が年に5%位ずつ上がっていた。一方、給料の手取りは年に1%ずつ上がっていた。したがって、イギリスにいた5年間で20%程度貧乏になった。今後上向きを期待できる具体的事項もあったけれども、私自身については持続するのが難しいと判断した。

    2017年の夏、アメリカの大学で長く活躍している、ある日本の人に会った。しかも、私と同じ研究分野である。
    その人の回答は簡単だった。

    「増田さんなら行けますよ」

    いや。社交辞令や激励がほしいわけではない。本当に行けるかどうかを知りたい。行けないなら行けないと言ってもらって、何が足りないかをどかんと言ってもらえる方が助かる。
    特に、私は、イギリスに来てから研究費を大きくは獲得できていなかったことに引け目を感じていた。
    また、アメリカで私の分野の研究者たちを思い浮かべてみると、上、下、同じ、どの年齢層を見ても、ものすごい人がたくさんいる。
    したがって、自分がアメリカの就活で勝負できると思っていなかった。

    「増田さんなら行けますよ」

    本気でそう思う、とのこと。

    そこで、短いお昼ごはんの会の中、コツなどを教えてもらった。

    就活開始。

    仕事と家族の両面を鑑みて、第一希望はアメリカだった。そして、シンガポールとオーストラリアにも十分な興味があった。また、限局的には香港や中国にも興味があった。カナダは、寒さだけを理由に、バンクーバーにあるとても強い2つの大学以外は考えなかった(ただし、それらの大学に関連公募が出たとしても、自分が相手にされるとは思わなかった)。2年位就活をしても決まらなかったら、カナダにも出すだろうと思っていた(ただし、カナダの方が他国より就職しやすいわけでは特にない)。ヨーロッパの中ではスイス、ドイツ、それに少しだけオーストリアをチェックしていた。ただし、これら3カ国で自分が採用されるのは難しいと考えていた。

    海外の大学への就職については拙著「海外で研究者になる」にも詳しい。ただし、この本は、私のこの就職活動について書いた本ではない。むしろ、インタビューに応じてくださった17人の日本人の海外就活や、私の1回目の(イギリスに行った)就活などについて書いてある。

    ただ、1回目の海外就活の経験、イギリスで学んだこと、この本を書くために自分なりにいろいろ調べたこと、見聞きしたことなどのおかげで、準備はできていた。

    アメリカの就活は、大雑把に言って、8月〜11月に公募が出て10月〜12月に締め切られることが多い。書類選考、ビデオ面接、キャンパスでの面接、内定者決定、交渉、などを行った上で8月後半くらいから始まる新年度に間に合わせようとすると、逆算して秋口の公募になるのである。

    私が最初に考えたことは、自分をどう売りこむか、だった。相手にとって分かりやすいのが良いし、採用側は、この人は数学者、この人は経済学者、などとレッテルを貼りたがることが多い。私の分野である「ネットワーク科学」や「数理生物学」は学際的な分野であるが、ネットワーク科学科や数理生物学科があって公募を行っているわけではない(少数の例外はある)。いま、とある数学科で、数理生物学も対象分野に含む公募が出ているとする。しかし、採用委員会には、純粋数学や、他の応用数学分野の人も入っているかもしれない。純粋数学の委員には、「この候補者は数学さが足りませんね」と言われるかもしれない。いっぽう、コンピュータ科学科の公募に挑戦すれば、「この候補者はコンピュータ科学の学位を持っていないし、うちの学科でいろいろな授業を受け持てるでしょうか?」と待ったがかかるかもしれない。

    結局、自分の核は「ネットワーク科学」と「数理生物学」であり、ふたつの比率が7対3位でお互い絡み合っていること。私は他の研究も行っているが、それは横道に逸れるので、書類でも面接でも出さない方針にすること。基本的には数学科や応用数学科を目指すこと。コンピューター科学、システム科学などの学科の公募に対しては、出してもよいのだが、先方に知り合いがいない限りは見込みは薄いこと。これらを確認した。

    したがって、数学に特化した公募情報サイトである MathJobs と、一般的な公募情報サイトである AcademicKeys の Science と Engineering 分野の公募だけをチェックした。前回の就活では、行きたいと思う全ての大学について、2週間に1回程度、各大学のウェブサイトをチェックしたが、今回はそうしなかった。数学の公募なら MathJobs には絶対出るので、自分が主に数学関係にターゲットを絞った以上、基本は MathJobs で良いという判断である。

    1年目。

    5個の大学で書類選考を通過した。4つがアメリカの数学科である。もう1つは、とある国のコンピュータ科学科であった。5大学とも私の基準では良い大学であり、もし内定すれば、よほど条件が変でない限り異動していただろう。

    2つのビデオ面接で、明らかに失敗した。「あなたは何においてオンリーワンですか?」、「どのように学内で共同研究やリーダーシップを発展させますか?」といった定番の問に対して、良い回答をできなかった。準備が甘かったし、これらの質問に対する自信が欠けてもいた。これは経験。しょうがない。

    他の1つの大学では、ビデオ面接が自分の海外出張日程とかぶっていて、先方は日程を動かせなかった。そこで、騒がしくて、ネットも不安定になりかねない空港でスカイプ面接となってしまった。他の1つの大学では、ビデオ面接をうまくできたと思ったが、その先に進めなかった。

    残りの1つの大学では、ビデオ面接はなく、いきなりキャンパスでの面接に呼ばれた。
    なお、この大学の公募側には知り合いがいた。

    いざ面接へ。情報面と心の準備はできていた。
    アメリカの面接とイギリスの面接の一番の違いは、長さと濃さである。アメリカの面接では、複数の候補者を一度に呼ばない。そして、面接が2日間、時には3日間に渡ることが多い。イギリスでは、例えば5人の候補者を同時に呼んで2日間行う。2日間といっても、丸2日でないし、自分の出番は限られているので、さほど長くない。もっとも、日本よりはとても長い。

    この面接は、自分としては最善を尽くせて、目立ったミスはなかったと思うが、通らなかった。
    思い当たる節はあって、採用側学科の大半の人と分野が遠すぎた。
    また、一般的に、採用側は、駆け出しのAssistant Professorの候補(「ジュニア」と呼ばれる)と年配のAssociate Professorや教授の候補(「シニア」と呼ばれる)がいたら、ジュニアを欲しがることが多い。私は、シニアの職を狙ったので、この意味で一般的な難しさもあったのかもしれない。
    採用委員長の先生は、後日、私とスカイプしてフィードバックをしてくれた。ありがたい。

    2〜4月締切といった公募もある。
    そういう公募にも出すときは出す。就活は続くのである。
    ただ、オフシーズンには公募は少ないので、一旦落ち着く。
    こうして、1年目は終了。
    この時点で、応募した大学数は35程度だった。

    2年目。

    色々な反省を活かして、書類の改良を行った。
    とはいえ、私も就活玄人になりつつあった。
    数年かけて自分自身をこう変化させたい、という計画はあったけれども、書類や作戦を見直して小手先で改善できることはもう少なかった。

    その他に2年間を通じて知ったこととして、「アメリカの大学の数学科」といっても多様なのである。A大学の数学科では、純粋数学が主体だ。B大学の数学科では、応用数学も大きな勢力だけれども、ここからここまでは応用数学に入る、それ以外は数学とは呼びにくい、という範囲が、どこにも書いていないのだけれども明確に見てとれる。C大学の数学科では、物理出身の人なり、数学よりもデータっぽい人なりも混在している。私に内定をくれうる数学科は、C大学のような数学科のみだ。そして、数学科がA、B、Cのどの型かということと大学のレベルは、あまり関係ない。各大学の数学科の教員ページをつぶさに調べると、各大学の数学科の色、どの大学がC型か、が分かってくる。今回、私は奉職した数学科は、応用数学部門がC型である。

    さて、2年目は、夏に呼ばれた面接を合算すると、まず、6大学においてビデオ面接に呼ばれた。そのうち5つの大学からキャンパス面接に呼ばれた。アメリカが2大学で、他国が3大学。なお、キャンパス面接に呼ばれなかった1つは、私がビデオ面接で落ちたのではなく、大学側の都合で公募そのものがビデオ面接の後に取り止めになった。来年度にもう一度公募を行うとのこと。

    数字だけを見ると前年よりもうまくいったように見えるが、そうではない。1年目とは異なり、分野のマッチング、条件、生活面の理由で、もし内定を頂いたとしても行くかどうかは分からない大学もいくつか含まれていた。2年目なので、実績も幾分は伸びているだろうから、1年目よりは全体的に戦えるだろうと思っていた。バッファロー(現職)から内定を得たので「結果良ければ全て良し」だが、1年目より2年目の方が全体的に良かったというわけでもない。

    さて、夏に呼ばれた面接は落ちた。
    バッファローからは内定を得られた。その時点で、面接が行われた直後だったり、面接の直前だったりして生き残っていた公募があったが、バッファローに行くと決めたので、それらは丁重にお断りした。

    2年間で、合計88の公募に出した。出しすぎだろう(笑)。

    推薦書を書いてくれた先生方(アメリカの大学に公募する時は、基本的にアメリカの大学の教授の知り合いに推薦書をお願いした)、相談に乗ってくれた多くの同業者、無理な出張スケジュールを支えてくれた家族のおかげである。

    最後に、前回の就活では、ブログ「海外就職」にも書いたように、アメリカに50程度、イギリスに20程度応募した。この比率は、アメリカとイギリスの大雑把な公募数の比率を反映しているだけであって、どっちの国により行きたい、ということはあまり意識していなかった。結果的に、イギリスのみで面接に呼ばれ、ブリストル大学に内定した。

    そして、この度、アメリカに行くことになった。だが、仕事だけに限っても、イギリス、ブリストルには大変お世話になった。社交辞令ではない。イギリスでの5年間がなかったら、アメリカの大学には絶対に内定できなかった、と断言できる。イギリスが研究者としての自分を育ててくれたのである。もしイギリスに行かずに日本にいて、5年間半大学教員を続けていたら、どこかの大学で教授に昇進していたかもしれない。また、昇進の有無に関わらず、どこかのタイミングでやはり海外就活をしたかもしれない。しかし、私の実力では、そのタイミングでアメリカに行こうとしても、まず無理だっただろう。

    イギリスに勤めていたことは、西洋基準での教育をできる、西洋の大学人で(も)ある、としてアメリカに受け取られる。また、イギリスに行くことによって、色々な理由で、私の研究レベルは、私が日本にいた場合よりも発展したと思う(日本にとどまる方が伸びる人もいる。一般化はせずに、私の場合はイギリスで伸びた、とだけ言いたい)。これらの積み立てがあってこそ、アメリカの就活で張り合えた。

    なので、イギリスちゃんには、仕事だけに限っても、とてもお世話になったのである(公私において様々な人にとてもお世話になったことは、言うまでもない)。

    2019年6月18日

    モダンオランダ

    ブリストルに住む私として、オランダの第一印象と言えば、アムステルダムの空港(Schiphol)である。ブリストルからヨーロッパの外に行くには、ロンドン・ヒースロー空港まで2時間強の空港バスに乗るか、ブリストル空港から出発するかのどちらかをする(過去の私のブログ:「ブリストルの空事情」にもあります)。
    日本に行くときは、ヒースロー空港までバスで行ってから飛ぶ方が、ブリストル空港から飛ぶよりも安い場合が多い。
    しかし、私はバス旅は非常に苦手。
    出張で選べるなら、必ずブリストル空港を選ぶ。

    ブリストル空港からヨーロッパ外に行くときは、まず小1時間のフライトで大陸ヨーロッパのどこかのハブ空港へ行き、大きいのに乗り換える。ブリストルにとってのそういうハブ空港は、アムステルダムに加えて、パリ、フランクフルト、ミュンヘン辺りだった。

    過去形? そう、異変が起こった。

    flybmi というイギリスで比較的大きい航空会社が2019年2月に突如倒産したのだ。
    買ってあったフライトはすべてキャンセルになり、払った航空券代は当然戻って来ない。
    私の研究室だけでも3人がこれにやられた。

    flybmi は、ブリストルをパリやドイツと結んでいた。
    例えばドイツなら、ルフトハンザとの提携便を flybmi が飛ばしていたということだ。
    それが無くなってしまった。

    調べた限り、倒産から4ヶ月たった現時点でも、格安以外の航空会社ではパリ、フランクフルト、ミュンヘンに直行で行けない。(なお、格安航空会社で行くと、荷物の量に制限があったり、航空券を別々に買わなければいけなかったり、荷物をその空港で一回引き出してもう一度チェックインしなければならない。前の便が遅れた場合の乗り継ぎも保証されない。したがって、アジアやアメリカのような遠くに行くときは、普通は格安航空会社を部分的に組み入れることはしない)。

    ブリストル〜アムステルダム便は、KLM の自社便なので関係ない。ナイスオランダ!

    さらにいえば、ブリストル空港からは、ヨーロッパの主要都市の多くへ直行便が就航している。
    とはいえ、直行でいけないヨーロッパの都市も多くある。
    すると、どこかで乗り換えるのだが、flybmi の倒産も手伝って、アムステルダムが圧倒的に多い。
    というわけで、私の海外出張の7割はアムステルダム経由である。
    5年のイギリス生活の間に、アムステルダムのターミナルの構造やお店やトイレの位置をマスターしてしまったといっても過言ではない。

    しかも、KLM系である限り、イギリス行きの便(すべてかどうかは知らないが)は、必ずアムステルダム空港のゲートD6から出る。
    したがって、D6は腐れ縁。
    狭くて、そんなに居心地の良いゲートではない。

    空事情の話が長くなった。

    さて、そんなオランダになぜか行ったことがなかった。
    今年になってやっと行くことができた。

    私「オランダはどうですか?」
    子ども「日本みたい。」
    私「??」

    電車や駅が近代的で、工業的。子どもにはオランダの第一印象はそう映ったらしい。

    そもそも、電車。

    イギリスでは、国の基幹路線の1つであるロンドン〜ブリストル線がここ2年くらいで一部電化されてきたが、全線電化にはまだ時間がかかりそうだ。

    日本みたいと言えば、大学の建物も。
    大学によるのかもしれないが、私が行った2つの大学(TU Eindhoven と TU Delft)は、近代的で機能的なキャンパスだった。

    日本人にとって、オランダといえば観光、チューリップ、水車などだろうか。
    あまりに観光客が多いので、オランダ政府観光局が観光を宣伝するのを最近やめた、と聞いた。
    ところが、ヨーロッパ目線で見ると、工業的という視点もあるということか。

    私「日本とオランダは他にどういう所が似ていますか?」
    子ども「自転車がたくさん」

    オランダは平らなので自転車は活躍する。
    街中に自転車道が張り巡らされていて、駐輪設備も多く、至って便利そう。
    慣れない歩行者としては、自転車にひかれないように、ちょっとした注意が必要。
    ブリストルは、2015年に「自転車にフレンドリーな街」ということを受賞理由の一つとして "European Green Capital" 賞を受賞した。ただ、私には謎が残る。
    イギリスでは、自転車専用道を除いては、自転車は車道を走るが、ブリストルには自転車専用道が少ない。
    2015年頃からは、市の中心部に自転車専用道が増えてきて、がんばっている。ただ、まだほんの一部である。
    自転車で通勤する身としては、車と隣り合わせで走るのは、慣れたとはいってもちょっと落ち着かない。
    また、イギリスは車道が平らでないことが多いので、自転車乗りにはなかなかの挑戦である。

    他にオランダの気に入った所:

    • Stroopwafel. ワッフル。丸い平らなおかし。キャラメルクリームのようなものが中に入っている。 私は甘党ではないが、病みつきになる。
    • 運河。水路がたくさんある。美しい。

    • インドネシア料理。昔の植民地関係で、インドネシア料理のレストランが比較的多くある。おいしい。そして、高くない(私が行ったのは、物価が高いとされるアムステルダムではないが)。

    • 地ビール。おいしい。オランダのビールと言えばハイネケンが有名だが、ハイネケンを飲んだところ、現地で大学院生をしている中国人に、「なんでそんなおいしくないビールをわざわざ飲むのか?」と言われた。

    2018年10月1日

    大連:大学編

    大連理工大学。
    略して大工と呼ばれる。「だいく」ではない。和訳するなら「だいこう」でしょう。
    理工大学という名前だが、人文系もある総合大学だ。

    イギリスにはラッセル・グループと呼ばれる、24大学から成るトップグループがある。
    ラッセル・グループの多くの大学は、世界の大学ランキングの上位を賑わしている。

    中国には985工程と呼ばれる、39大学から成るトップグループがある。
    昨今では、北京大学と清華大学という最上位2校が、世界の大学ランキングで上位にいる。東大より上位で出ることがかなり多い。
    ただ、「大工」を含め、多くの985工程の大学は、世界的にはその2校やラッセル・グループ校からは遠いと言って差し支えない。

    ところが、学生はよくできる。
    物差しによるが、理数系なら理数の基礎力を見ることにすれば、985大学の学部生は、ラッセル・グループの学部生よりは比べ物にならないほどできるように思う。
    コミュニケーションや創造力などの物差しも重要だが、私に大学院生をリクルートする予算と人脈があるなら、985大学の学生はとても受け入れたい。

    985工程の下には、211工程がある。985の大学との重複も合わせて116校の大学が211工程に属する。
    「大工」では、学部卒業生で博士課程に行きたい者はアメリカなどに留学してしまう。
    このことは、985の大学全般に共通するという。
    したがって、例えば大連では、211工程の大学から学生が博士課程に来てくれると良い、とまずは考える。
    211の大学から大連の大学院に来た学生も、私が見ている限りかなり優秀だと思う。

    さて、「大工」のキャンパスは広い。
    目を引くこととして、学内に新しい建物と、おんぼろの建物が同居している。
    おんぼろの建物の大多数は、大学とは関係ない一般住民の住居である。
    細かいことをあまり気にしない私でも、正直あまり近づきたくないような建物である。大学関係者も実際に近づかない。
    大学側としては、その土地を買い取ってしまいたい。
    しかし、それがうまくできない。
    「政府命令とかにして買い取れないの?」と尋ねたら、
    「昔はできたけど、今は、政府もそういう強引はことはしない。」とのこと。
    理由は、ソーシャル・メディア。
    そんなことをしたら、すぐにたたかれてしまうそうだ。

    中国の大学は勤勉だ。
    土日に教員も大学院生も働いていることが結構普通である(もちろん、人によるが)。
    教員は、土曜にも公式業務が発生することがある(振替の授業など)。
    食堂はもちろんのこと、事務的な部署(学内のコピーセンターなど)は週末も営業している。

    それぞれの大きめの建物には守衛がいる。その守衛は、日本のコンビニに全く引けをとらない、一日24時間、週7日営業である。
    私は、こういう長い出張では、週末も仕事をすることが多い。
    そこで、自分のオフィスに土日も入れるかどうかを尋ねた。
    私の受入側研究者は、私の質問の意味がすぐに分からなかった。
    「当たり前でしょ」との回答。

    大学のトイレにはゴミ箱がある。その横にザルがおいてある。ザルの下には、液体を受け取れるようにバケツが置いてある。
    どうやら茶葉を捨ててよさそうなので、捨てる。
    お茶はたくさんあるし飲むので、一日に何回も捨てに行く。
    すると、その茶葉ザルがものすごい頻度で清掃されているのである。
    日曜日でも、数時間後にトイレに行くと、私や他の人が捨てた茶葉が必ず片付けられている。

    日本の感覚だとそこまで驚きではないかもしれない。
    ただ、イギリスに来て4年経つ私には、驚きの連続だった。

    留学生は、分母の数が分からないので客観的なことは言えないが、私が予想していたよりも多く見た。
    北京や上海にある大学ならいざ知らず、大連まで留学生は来ないだろうと正直思っていた。
    「大工」にはアフリカの国から結構来ているという。
    中国政府が、留学費用を相手政府に拠出している。
    学部生もいるが、主には大学院生である。
    西洋人とおぼしき学生も、ちらほら見た。

    食堂は安く、朝は100円、昼は200〜300円で十分に食べることができる。
    大学からの資金補助が入っている。
    物価やGDPを差し引いても安めである。地元の教員がそう言っているので。
    我がブリストル大学には、味はさておき3ポンド(1ポンド=約150円。ただし、この換算レートはEU離脱決定後のもので、それ以前はもっとポンド高であることが多かった)で食べられる学生食堂が存在した。
    しかし、採算が取れなかったのか、つぶれてしまった。
    大学が補助してくれないのだろうか。

    「大工」で私が使っていた食堂は、学生用と教職員用が階で分かれている。
    教職員用は、昼はビュッフェでおいしい(ポスドクは15元、教員は20元。1元=約16円)。
    水曜日は、近隣の小学校が午前中で終わる。したがって、昼の教職員用食堂は、子連れの教職員でごった返す。
    食堂が主催して、教職員の子ども向けの楽しそうなイベントを開催していたりもする。
    清掃や守衛の職員も、正規職員なので、食堂で食べる権利や、そういっや子どもイベントへの参加権利を持つ。

    話題変わって、9月は新学期。
    この時期に新入生を他の学年と見分けることは、容易である。
    入学してすぐに軍事教練があるからである。
    一週間程度行う。
    具体的なスキルを身につけることは期待していなくて、「軍の訓練とはこういうものだ」ということを体験させるのが目的とのこと。
    日曜日に大学界隈の商店街を歩いていると、新入生は目立つ。
    軍服を着ているからである。
    教練中は、外出時も軍服の着用が義務化されているらしい。
    18〜20歳程度なので、あどけなさが残る。
    この軍事教練は性別を問わず必修だ。
    軍服を厳密に着た、ティーンエイジャーであろう女子学生が、携帯電話でテレビを見ながら、ミルクティー屋でお茶をしている。

    中国の大学一般に当てはまることとして、中国では、ポスドクから、いきなり教授になりうる。
    助教なり准教授なりをすっ飛ばして、30歳そこそこで教授になりうるのだ。
    そういう若き教授は、研究者が応募できる中国の「タイトル」を取っていることが多くて、その場合、給料もとても高い(数字を聞く限り、日本の教授よりもかなり高い)。
    実際、私の分野でも、こういう30代の教授が何人もいる。
    誰でもなれるのではない。主に海外で良い研究成果を出して、そういう中国のタイトルを競争に勝って獲得するなどして、中国の大学に就職するようだ。

    ただ、どの大学でもいきなり教授になれるわけではない。
    「いきなり教授」が起こるのは、中国でも超一流というわけではない大学の場合が多い。
    そのような大学なら「いきなり教授」になれる力量の人でも、北京大学や清華大学のような一流大学だったら、例えば助教のような職から始めることになるだろう、とのこと。

    これは不思議に思った。
    なぜなら、研究者たるもの、一流大学に助教で入って、周りのレベルが高い人達と切磋琢磨したり、そこでコネクションを作ったりすることを目指さないのか。そういう一流大学には、お金や特権があって色々有利になることも多いだろう。

    これを私の受入研究者と議論すると、一種の安定を優先しているのだろう、との回答だった。
    つまり、教授になってしまえば、その後は安泰だ。
    ただ、日本の安定志向とは、少しニュアンスが異なるようである。
    中国は変化が速い。
    ルールも頻繁に変わる。
    なので、例えば「10年後に多分清華大学の教授になれる」と約束されるよりも、10年後の約束なんて分からないから、今取れるものを取っておこう、ということのようだ。
    「いきなり教授」本人に、今度会うときに聞いてみる予定である。

    日本も含めて、他国では「いきなり教授」は、どんなに研究業績が高くてもありえない。
    例えば欧米では、教授という人は、研究業績だけで決まるのではないことが多い。競争的研究費を獲得したり、研究室をうまく運営したり、大学の業務に携わったり、研究業界を引っ張ったり、といった総合力で判断される場合が多いだろう。
    そういう実績を積み立てるには、少なくとも数年は独立した研究者(大学なら助教や准教授など)として働く必要があるだろう。
    だから、「いきなり教授」は論理的に起こりにくい。

    今後、中国の大学がどう発展し、変遷していくのか、興味深い。

    2018年9月11日

    大連:日常編

    中国の大連に3週間行った。

    大連の人口は(どこまで大連に含めるかには依るが)650万。
    ロンドン(900万弱)とさほど変わらない。
    なお、ロンドンは、ヨーロッパ(色々な数え方があるが、トルコとロシアは考えないとする)でダントツに人口が多い。人口でロンドンに次ぐ都市は、300万規模が 3, 4 ある程度である。

    中国人と話すと、「あの都市は小さい」と言う。
    彼らの「小さい」の定義は、例えば100万人や200万人だ。なので、この定義にしたがうと、ヨーロッパでは、ロンドン以外は多分全部「小さい」市となる。パリもローマもアムステルダムも小さいのである。日本でも、東京圏と関西圏を1つずつだと数えて、これらは小さくはないとして、ただ、札幌、名古屋、福岡をはじめとする他の全部の都市は「小さい」とされるだろう。
    確かに「中国で100万人以上の人口を持つ市」というリストを見ると、私は聞いたこともない名前の市がほとんどで、そういう市が100個以上ある。

    大連は650万都市なので、小さいとはされない。ただ、大連より人口が多い市は中国に10以上あるので、大連は特筆すべきほど大きい都市ではない。

    大連は地方都市である。北に属するので、南の方にある洗練された都市(大連で私を世話してくれた共同研究者は、上海に近い浙江省の出身で、洗練された地方の一つであるらしい)からすると粗っぽい感じだそうだ。実際、街中の食堂とかでも、自分の都合を押し付けてきたり、英語の通用率が低かったり、ということは感じる(ただし、私が中国の他の都市と比較していないので、客観的ではないです)。

    大連は他の中国の都市に漏れず、近代的な都市である。「人口が500万を超える地方都市」という時点で、日本やヨーロッパにはすでに存在しない概念だ。しかも、それが近代的なのである。

    とにかく高層ビルの数がすごい。30階建て以上のビルは、市内に100以上ある。「数えたい」と言ったら共同研究者に笑われた。私の居た大連理工大学は市の郊外にあるが、そこから見えるだけでも、30階超えであろうビルが10や20ある。大学から中心部を臨むことはできないので、大学の周りだけで、である。
    市の中心部に行くと、大手町や新宿よろしく高層ビルだらけである。誰か数えてくれ。

    建設ラッシュ。
    どこもかしこも建設ラッシュだ。
    私の住むイギリス・ブリストルでも、建設現場は多く見る。しかし、建設ラッシュだから建設現場が多いのではなくて、建設が遅いから建設現場がずっとあるのだ。
    理由が異なる。
    中国では、建設はかなり速いとのこと。
    私の共同研究者は大連に十年住んでいる。
    今ある大きな建物の大半が十年前にはなかった、と言う。

    高層ビルや建設ラッシュは、大連特有のことではない。そして、他の中国の都市と同様、交通渋滞は大連においても問題である。急速な近代化や車の保持率の上昇に、交通インフラの整備が追いついていない様子。地下鉄は急ピッチで延伸されている。バス網は充実していて効率も良いが、渋滞していないとしても、ちょっと時間がかかりすぎる。

    大連が暮らしやすい、と思ったことを4つ挙げる。

    (1) バスが安い。私が使ったバスは1元で大連理工大学から市の中心部(6〜8km 離れている)まで運んでくれる。2元のバスも大学から出ている。1元は16円。だからどのみち安い。
    そして、バスが十分に近代的で驚いた。特別なことはないのだが、中に電光表示があって、現在のバス停や次のバス停が表示される(しかも、漢字なので分かる)。
    乗り降りも、大抵の人が電子マネーで運賃を払うので速い。
    しかも、マナーが何だか良い。
    たまたま自分の足が他の座席にはみ出していたら、普通のおじさんに注意された。これにはびっくりした。なぜなら、注意してくるくらいなら、その人も多分はみ出さないように気をつけているからである(本当かな?)。
    他の乗客を見ていても、日本の様子と何ら変わらない。
    バス運賃は先払いだった。すぐに財布が出てこなかったり、自分の電子マネーにトラブルがあった客が、後ろに並んでいた客をとりあえず先に乗らせて、自分は横で処理する。日本と同じではないか。

    なんでこんな当たり前のことを言うの? と皆さんは思うかもしれない。
    イギリスでは当たり前でないからである。
    電子マネーや、この場合に後ろの客を先に行かせるという種類の配慮は、イギリス、少なくともブリストルにはあまりない(それでも、バス用電子マネーは、ここ1, 2 年で増えた)。
    イギリス人が他人への配慮に欠けると言いたいのではない。この種類の譲り方が、全体の効率を大事にしているように見えて、日本と似ているように感じたのだ。
    ともあれ、電子マネーやこの種類の譲り方が少ないイギリスのバスでは、バス停で客が乗り終わるのにとても時間がかかりやすいのは本当だ。

    マナーについては、バスや大学内だけでなく、ショッピングモールなどでも、列に割り込んだりとかをほとんど見なかった。
    3週間滞在してマナーのストレスを感じなかったのは、正直、ポジティブな驚きだった。

    (2) ご飯が安い。大学内では、100円で朝食、300円で昼食を食べられる。大学から食堂に対して補助が出ている。ただし、外の食堂に出ても200円や300円で十分に食べられる。しかもおいしい。また、カラフルなミルクティーやフルーツティーもおいしく、200円程度で飲める。近代的なショッピングモールに行くと、大学界隈よりは高いけれども、まあ安い。
    地元の若者や家族連れが普通にそういう外食をしていて、彼らは、特に金持ちというわけではない。
    ただし、マックやスタバは高い。
    日本やイギリスと同じような値段である。
    安いのは地元系の店である。
    地元の商店に入ると、地元っぽい菓子パンと、日本だったらコンビニにありそうなきれいめな菓子パンが、隣に並んでいる。
    ところが、実は値段が倍以上違ったりする。
    飲み物もそういうことがある。
    味はそこまで変わらないけれども。

    (3) 大きなショッピングモールや近代的な店並び。
    たくさんある。便利だし、東京出身の自分としては、正直なごむ。地下駐車場併設。上層階はレストラン。間の階にブランドショップ等。ユニクロ、無印良品も見かける。日本と何ら変わらない。

    (4) 大気汚染が少ない。半島の先端にあることで得しているらしい。中国の多くの都市は大気汚染が結構きついというので、空気の良さは大連の強みだ。実際、滞在中に大気が気になったことはなかった。
    それでも、大気汚染を心配する中国人は、ごついマスクをつけている。ただし、そういう人の割合は、北京や上海と比べてとても少ない。

    大連なのか、中国全体なのか、中国初心者の私にはよく分からないが、暮らしにくいと思ったことを4つ。

    (5)トイレ。
    どれくらいよくあることなのか分からないが、私が経験した限りでは、大抵和式(中国式というのが正確だろうが、和式とほぼ同じ)である。
    私が滞在した大学の建物は、今年新築された。それなのに、トイレは全て和式だ。中国の大学はおしなべて金持ちなので、洋式のトイレを作る予算はありそうだ。理解に苦しむ。
    どうでもいいけど、和式って、自分がした「う☓☓」の量が、洋式よりもよく分かるんですね。
    毎日使ってて気づいた。
    なお、私が滞在した大学の宿舎は、洋式トイレだった。

    大学のトイレには紙がない。自分でトイレット・ペーパーを持ち歩くのが結構普通とのこと。さらには、石鹸がない。毎回石鹸とトイレット・ペーパーを持ってトイレに行くのは、ちょっときつい。
    3週間いると慣れるけど、それでも。

    なお、町中に公衆トイレはあるが、汚いことが多い。
    ただ、イギリスもトイレがかなりイマイチの国なので、驚かない。
    むしろ、公衆トイレがそれなりの頻度で配置されていて無料で使えるだけ ok。

    (6) 受動喫煙。
    喫煙マナーは良いとは言えない。大連の空港に到着してトイレに行くと、非常に煙る。大学の中でも、オフィスで喫煙している教員が結構いて、廊下に臭いが出てきている。宿舎の廊下もなんとなく臭う。
    日本も、自分が子ども〜大学入学頃までは、まあそうだったように思う。
    今では、日本人の喫煙マナーは概して素晴らしく、大学も禁煙キャンパスだったりする。
    中国もそうなってくるのだろうか。

    (7) 歩道がいまいちなことが多い。建設ラッシュが追いつかないのか何なのか、歩道が途中で切れていたりする。地元の人は、信号がなくて車がびゅんびゅん走っている道をどんどん渡る。私は怖くて、道を渡るのはちょっとしたストレスだった。もし子連れだったら、もっとストレスを感じそう。
    ただし、街の中心部や水際の観光地域は、歩道が広くて平らで、歩いてて快適。

    (8) 有名なこととして、中国はグーグルなどが入らない。VPN(というものがある)を買ったりして使うのが一般的なようだ。VPN を使っても、ネットがうまくつながらないことが結構あった。それが自分がいた場所の問題なのか、中国でよくある問題なのかは分からないけれど、そこは不便だった。

    2018年3月21日

    ピアノのグレード試験

    一番上の娘が、7歳の時からピアノを習い始めて2年になる。

    私も7歳で習い始めたのは同じだ。
    現在のピアノレッスンの事情を知らないのだが、日本(私の子どもの頃の経験)とイギリスのピアノレッスンで大きく違うことの1つが、イギリスのピアノ試験だ。

    娘が受けているのは、ABRSM(英国王立音楽検定)という団体の試験である。
    基本的には、グレード1からグレード8までの試験があり、自由に受けられる。
    数字が大きいほど難しい。
    グレード1から順番に受ける必要はない。
    ピアノ以外の科目もある。
    他にも Trinity College London などいくつかの団体がピアノ試験を運営している。
    消費者としては非常に紛らわしい。
    1つに統一してくれ!

    日本でも、ABRSM の試験は行われている。
    ただ、英語(+通訳)であることもあり、あまり有名ではないように見受ける。
    ヤマハグレードの方が有名だろうか。

    イギリスの資格社会(これは、私は比較的好きである。分かりやすいから)を反映していると感じる。
    イギリスの大学の入学願書では、受験生は、どんな資格 (qualification) をとったか、を表にする。
    私の大学だと、基本的には理数系の学業で入学してくるので、この数学の統一試験の成績が A でした、物理は B でした、といったことが表にされている。
    "A レベル"、"GCSE" といった試験制度のことである。

    その中に、ABRSM の試験を通ったことを記載してくる学生がたまにいる。
    グレード6程度以上だと書くことがあるようだ。
    私の学科は、ピアノの成績で合否判定するわけではないのは明らかだが、この資格を持っています、というのは分かりやすく、その人の名刺の一部である。

    こういう色々な背景と、信頼している先生の後押しの元、娘はグレード試験を受けた。

    去年はグレード1、今年はグレード3である。

    娘にとっては、モチベーションを高めるのには良い制度だ。
    この点は、年齢、国を問わず同じだろう。
    実際、グレードの特訓を 2〜3 ヶ月位行ったことによって、娘のレベルは目に見えて向上した。
    ただし、結局尻を叩いて教えなければいけない親としては、はっきりいって苦痛が多い。
    直前の時期は、頭の中がこればかりになるし、怒る材料が増えること自体にいらつく。

    内容で驚くことは、すごく理論的であること。
    「音大でも受験するのかいな」と思うほど。
    グレード3でも、理論面がかなり難しい。
    そもそも、10年以上ピアノを弾いてた(今も弾いてる)私が知らないことがたくさんある。
    その時点で驚愕だ。
    自分のピアノ知識にうぬぼれているわけではない。
    ピアノの腕前は問わぬこととしても、楽譜を読む類のことについては、ひととおりはマスターしているものだと思っていた。
    ピアノを5年10年やった人は、多くがそうじゃないだろうか。
    ところが、自分のピアノ知識はグレード3よりも浅いことが判明した。
    今回、娘と一緒にグレード3までの理論部分を勉強したが、知らないことがたくさん。細かいけど、例えば

    • 3/4 拍子と 6/8 拍子の違い。
    • 例えばハ短調といっても2つあること。2種類目のハ短調では、上りと下りで使う音が違う。
    • 長調を短調に変えるときの仕組み。例えば、どの短調の音階でも、2番目の音と3番目の音の間には鍵盤がない。例えばハ短調だったら、レ(2番目の音)の次にミ♭(3番目の音)なので、間に鍵盤がない。イ短調だったらシ(2番目の音)の次にド(3番目の音)なので、間に鍵盤がない(シとドの間には黒鍵がないから)。どの音階の短調もそうなっている。なるほど!
    • バロックと古典の違い。
    • 楽譜に書いてある、色々な記号の意味。多くの記号は知っていたが、知らないまま素通りしていた記号も多い。言い訳をすれば昔はネットがなかったので、調べるのも大変だった(少なくとも我が家には調べる術がなかった)。それに、基本的に全部イタリア語なんだね。
    この中にはマニアックな(?)知識もある。
    でも、例えば 3/4 拍子と 6/8 拍子の違いは、楽譜の理解の深さやピアノの弾き方に確実に影響する。熟練のピアニストでなくても、である。知らなかったよー。

    自分が子どもの頃に、こういったこととか、あるいは個々の音楽家について少しでも習うチャンスがあったら良かったのに、とは思う。
    こういう知識が少しでもあると、楽譜の見方が変わり、音楽への接し方も変わる(子どもはどうだか分からないが)。
    イギリスでは、グレード試験を絡ませながら、こういう理論や情緒も含めて総合的にピアノや音楽の力を伸ばす、と見える。
    また、一般的に言って、グレード試験の合格実績はピアノの先生自体の実績にもなると思われる。
    大学教員が「出した博士号の人数」を履歴書に書く(しばしば書かされる)のと同じである。
    実際、先生の教え方と、生徒の質(ピアノの素質のことではなく、親も含めて、こういう練習をこなせるタイプかどうか。皆が平均的日本人のようにマメなわけじゃないので)がうまく絡まないと、受験までたどりつけません。
    もちろん、先生次第ではあり、グレード試験をやらないイギリスの先生もいるだろう。

    横道。

    「イ短調」に「ハ短調」。日本のこれには参る。イロハニホヘトに基づく。なぜここで和風に?
    そして「ドレミファソラシド」。これはイタリア語。
    日本では、音を指すのにはイタリア語を使い、音階を指すのにはイロハ順を使う。
    「その音はミでしょう!」というのを「その音はホでしょう!」という人はいないし、「ハ長調」のことを「ド長調」とは言わない。
    自分はこのことに慣れてしまってるから今まで何とも思ってなかったが、英語、あるいは国際的な音楽教育の文脈に入らされると、至極不便を強いられる。
    ここはイギリス国。全ては英語。というか、多分世界標準(日本の音大も)では、ラをA、シをB、ドをC、... と呼ぶ。
    娘は A, B, C で習っている。
    一方、自分はドレミで子どもの頃に習ったものが体にしみついてしまっているので、教えるのに支障がある。
    娘が音を間違えても、ドレミからABCに瞬速では翻訳できないのだ。
    同様に、自分が「イ長調」と思ったものを「A major」(A = ラの音 = イロハではイの音、major = 長調) という単語に翻訳するのにも、頭の中で考える時間が必要で、秒差が生じる。
    教えてる現場では、娘が間違えた瞬間に指摘したい場合がほとんどだから、この秒差はいらだたしい。

    さらには、日本語の楽譜語彙は、数学語彙と同様にマニアックである。

    「嬰ハ長調」

    「嬰」なんて漢字、他で使ったことないぞ。
    いや、待てよ。
    「嬰児」という単語は知ってるぞ。
    念のため意味を調べてみると、赤ちゃんのことである。
    嬰ハ長調と言われると、ピアノを長くやってる人は、何のことだかぱっと分かる。英語だと "C# major" (C シャープ・メイジャー)。「嬰」はシャープの意味なので、日本語の呼び方も論理的ではあるのだが、世界対応ではない。
    赤ちゃんはシャープ?
    全部 A, B, C で教えることはできないのかねえ。

    ABRSM のピアノ試験の科目は4つ。

    課題曲(3曲)、スケール、初見演奏、聴音課題。

    スケールとは、大雑把に言えば「ドレミファソラシドシラソファミレド」や、それに♯や♭とかがついたようなものを暗譜で弾くこと。
    練習しておけば楽な科目だ。

    4つの試験科目の中で、「初見演奏」がダントツで難しい。
    今まで見たことのない両手の4〜8小節程度の楽譜(グレード1は片手)が、30秒だけ見せられる。
    そうしたら、いきなり弾かなければならない。
    難易度は、楽譜の難易度に依るわけだが、グレード1、3 とも、課題曲やスケールの難易度から想像するよりはかなり難しい。
    したがって、ひたすら特訓する(問題集は売っている)。
    娘に模擬試験をやらせて観察していると、楽譜を見てすぐにリズムが分からない(そりゃ普通の9歳だから、簡単には分からないのもしょうがない)ことと、音符を見てどの鍵であるかを対応させるのが遅いこと、の2点が、30秒で楽譜を読めない原因であると結論される。
    なので、iPad のアプリでリズム当て、音当ての特訓。
    「リズムくん」と「おんぷちゃん」というアプリにお世話になった。
    「リズムちゃん」と「おんぷくん」を練習しなさい、と言って、娘に「ちゃん」と「くん」が逆であることを何度も指摘される。
    有料アプリだが、その価値あった(ついでに、娘の日本語の練習も兼ねてるので、あえて日本語のアプリにした)。

    自分も受けようかなー。

    2017年8月22日

    実は、英語は読むのが難しい

    高校のとき、私は英語が得意だった。

    しかし、大学院に入って少し経った頃には、英語はちょっとした苦手意識になってしまっていた。

    特別なことはない。
    受験英語は得意だったが生きた英語は苦手だっただけのこと。

    今と違って、当時はまだネット上の情報や機会は十分でなく、自分は21歳まで海外に行ったことすらなかった。読み書きは受験英語力でできても、聴く話すはとても弱かった。日本人にありがちなパターンだ。

    大学院在籍時に行った1年間の交換留学では、TOFEL のスコアを提出しなければならなかった。ヒアリングテストの点数がすごく悪く、合計点の足を引っ張った。留学先(カリフォルニア大)の定める TOFEL の基準点数をクリアできるまで、何度も受け直した(もちろん、テスト対策は真面目に行いつつ)。受験料が結構高いので、金銭的に辛かったなぁ。

    読む、書く、聴く、話す。

    この中では「読む」のが最も得意(あるいはマシ)である、という日本人が多いだろう。「聴く」と「話す」は、近年では YouTube やネット上での英会話レッスン、友達作りのツールなど、色々な上達手段がある。ただ、伝統的には、外国人と日常的に出会う環境を作るとか、海外に住むとかしない限り(あるいは、海外に住んでても)なかなか地力がついてこない。私はアメリカに1年住んだことがあり、イギリスに3年住んでいる。ところが、アメリカの1年だけでも「聴く」と「話す」が格段に良くなったのは確かであるものの、今なお「聴く」と「話す」は十分でない。「話す」は本当に頻繁に間違える。「聴く」は職場でさえ、聴き取れる相手と聴き取れない相手の差異が大きく、聴き取れない相手は結構たくさんいる。一体、何年かかったらよくなるのか!??

    英語を「読む」、「書く」にはあまり不自由しないけど「聴く」、「話す」には今でも不自由している。それが自分の状況だと思ってきた。理系研究者は特に、熟達するほどそういう傾向があるかもしれない。

    ところが、15年以上持ち続けてきたこの考えは、どうやら大間違いであることに最近気づいた。

    読むのが圧倒的に遅いのである。

    自分が英語を読むスピードや語彙量は、海外に何年も住んでる日本人(研究者含む)と比べて多分遜色ない、というか、正直言って比較的自信がある。ところが、ネイティブの人は、読むスピードが圧倒的に速いのだ。ネイティブの人と一緒に仕事をすると分かる。ネイティブの人との仕事は15年程度してきた。でも、今まで気にしてなかった。ところが、よく観察してみると、彼らが読むのは圧倒的に速い!

    私たちはネイティブよりも語彙量が少ないことが理由なのではない。確かに程度問題だが、あるレベルに達すると、知らない単語がちょこちょこ出てきても、意味を類推しながら読めるし、無視しても理解に差し障りない。それがために、スピードや理解度が落ちるほどではないと思う(ただし、知らない単語が多すぎると、スピードも理解度も落ちる)。仮に私が全英単語を知っていたとしても、自分が読むのはネイティブが読むよりも圧倒的に遅いだろう。

    考えてみれば、当たり前。自分は英語の小説を1冊読むのに、ネイティブの3倍や5倍(もっとかも?)の時間をかけている。それだけのことだ。結局、研究上の文書を読むのにも、メールを読むのにも、20年の努力の賜物でスムーズに読めているようでいて、ネイティブより圧倒的に遅い。
    なぜ、こんな簡単な事実を直視していなかったのだろう。
    日本語だと速く読めて英語だと遅いということを、認めたくなかったのかもしれない。

    仕事上、これはかなりまずい。同じ論文を読むのに3倍や5倍の時間がかかるのだから。

    対策は...思いつかない。「聴く」と「話す」はまだ穴が多いので、この歳(41歳)になっても伸びしろがあると感じる。若いときの伸び率には劣るとしても。しかし、今から「読む」速度を向上させるのは難しいと思う。随分読んできたわけだし。知らない単語はたくさんあるが、語彙量が問題なのではない。もちろん、頭の中で日本語に訳しながら読んではいない(これをしてはいけない、ということは色々な本に書いてある)。そういった基本をクリアし、英語(主に論文。たまに一般書)を20年読んできたのに、まだ及ばない。

    若いころの大量な読書量。これに尽きるのかもしれない。
    日本語でも同じ。
    日本人でも、日本語を読むのが速い大人と遅い大人がいて、子どもの頃からの読書量は関係していそうだ。

    私の長女は読書好きだ。日本語も英語も片っ端から本を読んでる。新しい本が家に届く度に誰の本にでもチェックを入れている。
    「イギリスで育つと英語が母語になっていいね」という発言の含意は、日本では、特に「聴く」と「話す」について強調されている気がする。しかし、隠れた強みは「読み」力。小学生の本とはいえ、長女は 100ページ、200ページの字が詰まった本をがんがん読んでいる。知らない単語があっても関係ない。これは強い。

    2017年5月17日

    赤の他人への対応、不惑での変化

    三つ子の魂百まで。

    そこまで言わなくても、人間、大人になってから変化するのは難しい。

    例えば、コミュニケーション力を高める努力をしましょう、と言っても行動を始めることができない若者はたくさん見てきた。どう変えるべきか、何を試すべきかを頭では分かっている場合も多い。ただ、彼らのそれまでの人生 20〜25 年の蓄積はすでに、変化を難しくしていた。
    二十歳過ぎたら人は変わらないか、と思ったものだ。

    もちろん変わる人も多くいる。
    自分は、何を隠そう、コミュニケーション力についていえば、18〜28 歳位の 10 年間で格段に改善した思っている。
    変わる努力をしたのだ。えっへん。

    ところが、20歳はおろか、38歳になるまで、変える必要にも迫られず変えずに来てしまったものがある。

    それは、「赤の他人への優しさ、対応」である。

    もちろん、私は他にも色々変えるべき部分があるだろうが、今回は「赤の他人への優しさ、対応」に限定する。

    日本人、東京生まれ、東京育ち(八王子は東京都です)。
    自分も含めて、このような生い立ちの人の多くは赤の他人に冷たい。

    他人にぶつかっても謝らない、自分だけ先に行こうとする、店員には厳しい、他人に話しかけられても無視する、お年寄りや家族連れのヘルプをしない、逆に他人様にすごく遠慮する(赤の他人と関わることに対する防衛なのかもしれない)、といった日常の光景である。
    赤の他人に話しかけるのが社会マナーに反するとされる、助けようとすると逆に変な目で見られる、などの色々な原因があるだろう。
    そこで育つと、大人になってから赤の他人への応対を変えるのは難しいだろう。
    少なくとも私はそうだ。

    イギリス国は、赤の他人に対する振る舞いについては日本国とかなり異なる。
    ロンドンはよく知らないが、少なくともここ Bristol(ブリストル)は東京と異なる。

    赤の他人に対して「東京風」に振る舞ったら、ブリストルでは失礼というか残念な人に見られるだろう。
    つまり、ぶつかっても謝らない、道を譲らない、目を見て話さない、赤の他人のふってきた雑談に合わせない(ただし、怪しい人はやっぱり無視すべきだ)など。
    英語の問題ではない。

    私も、38歳でイギリスに行くまでは、赤の他人に対して典型的な東京人だった(ただし、33歳で子どもができて幾分は改善した)。
    しかし、イギリスに来て変わった。
    現地に溶け込む暗黙の努力でもあるし、みんながそうしてるので自分も自然に真似るようになる。
    また、最初は恥しいと思いながらドアを譲ったりするのだが、受け手は 99% 好意的に受け取ってくれる(軽くお礼を言われるとか)。
    すると、次も行う気が起きる。
    日本だと、ネガティブな反応が返ってくるか無視されるかが多いので、1回やってみても、次回は萎える。

    なので、イギリスに来て3年経って、イギリスにおける赤の他人に対する振る舞いは、まあだいたいイギリス基準になった(と思う)。
    疲れてたり苛立ったりしているとダメな時が多いので、もう少し改善したいけど。

    本当の挑戦は、日本でどう振る舞うかである。

    1つのやり方は、イギリスと日本で使い分けること。
    意識的に使い分けるというよりは、無意識に使い分けてしまっている自分がいる。
    日本に行って最初の数日は移行期間があるが、その後は、昔東京にいたときと同じように振る舞っているのである。
    つまり、赤の他人に優しくない。

    しかし、それは面白くない。
    自分の子どもに見せたくもない。

    したがって、目標は、相手に多少不快だと思われてもイギリスと同様に振る舞うことである。
    することは、なんてことはない。
    道やドアを自然な範囲で譲るとか、店頭でお礼を言うとか、困ってそうな人に話しかけるとかである。
    もちろん、相手の日本人は、一定以上より中に入ってこられるとうざいと思う(人が多い)だろうから、そこはバランスで。
    でも、そのバランスを少し崩したい。

    他の意識の持ち方としては、子どもと一緒のときに、「こう振る舞うのだ」ということを日本でもイギリスでも実行する。
    そして、子どもが見ていなくても同じように振る舞う。

    これができれば合格で、不惑(40歳)になっても自分を変えられるということである。

    2017年4月23日

    パブで仕事

    ちょっとカフェで仕事してこよう。

    日本でもよくあることだ。
    オフィスや自宅を離れて気分転換をしたいのかもしれないし、出張中の 1 コマかもしれない。

    さて、私の自宅の近くにカフェはあるが、東京と比べると限られる。
    東京とブリストルを比べるのは平等ではないが。

    実は、夜でない限り、パブで快適に仕事ができることを発見した。

    日本で、飲み屋でパソコンや本を出して仕事をする人は稀だろう。
    しかし、イギリスのパブは、飲み屋のようで飲み屋ではないと感じる。
    私がよく使うチェーン系の安いパブ (Wetherspoon) について言うと、次のような特徴がある(これらの特徴の多くは、他のパブにも通じる)。

    • 必ず禁煙である。
      イギリス人のマナーは日本人のマナーより平均的に悪い。
      しかし、どんな柄の悪い酔っぱらいも、この禁煙ルールは必ず守っている。
      私の場合、日本の飲み屋で仕事することは、禁煙でない時点で厳しい。
    • 長居しても、店員や他の客に嫌がられない。
      イギリス人は「あの人ずっといるよ。。。」とか思わないようだ。
      「2時間で出てって下さい」とか「他のお客様のご迷惑なので」ということは起こらない。
      ありがたい。

    • 日本のカフェでは、他人の会話が気になって仕事に集中できないことがよくある。
      もちろん、カフェは静粛の場ではないので、仕事場として使う私側の失敗だ。
      イギリスのカフェでは、他人の会話は英語(や他の言語)である。
      したがって、日本語ほどには耳に入らなくて気にならないことが多い。

    以上のことは、イギリスのカフェについても当てはまる。
    パブ特有のことは、、、
    • 朝から営業している。
      朝から飲んだくれている人もいる。

    • お茶だけ、あるいは、お茶 + 食事、で使ってもよい。
      成人でも、ノンアルコールを注文しておしゃべりなどしている人はいる。
      レストラン的でもあるようだ。

    • レストラン的でもあるので、家族連れがいる。

    • 席はどこかしら空いている。
      ブリストルが地方都市だからかもしれない。

    • トイレが大きくてちゃんとしている。
      日本の皆さんは、そんなこと当たり前だ、と思うかもしれない。
      しかし、イギリスではトイレが機能しないことが多々あるので、隠れたポイントなのだ。

    • 笑い声が無駄に大きい。
      酔ってるし。庶民系のパブだし。
      これに我慢がならなくなったら、退場する他あるまい。
      近所の他のとあるパブに行くと、無駄に大きい笑い声はしない。
      パブによって、来る人の社会階層が明らかに異なる(ただし、値段にもそれなりには反映される)。

    まとめると、パブでの仕事や読書はお勧めである。
    「がーっはっはー」 ← 酔っ払い達の高笑い

    2017年1月5日

    引き出しを増やす

    留学にしろ、ポスドク(博士研究員)にしろ、赴任にしろ、海外経験はプラスになると言われる。
    具体的に何がプラスなのだろう?

    • 語学の上達。
    • 新しい友だちができる。
    • 語学以外の意味で仕事の技術が上がる。例えば、ポスドクなら、日本で得られない質の研究技術(アイディア、実験・計算技術、執筆力、研究室運営方法など)を得られる。
    • コネを作れる。
    • 多様な価値観を知ることができる。

    どれも言い古された事柄だ。
    だが、「多様な価値観」について、あるインタビュー記事が、仕事で接する日本人の若手(学生を含む)に対する印象と重なったので書いてみる。

    卓球に平野美宇(みう)選手という人がいる。
    一言で言うと、16歳にして、すでに大人の選手として世界的である。

    彼女がインタビューで

    心が広くなると戦術の幅も広くなる。だから、(昔はそうでなかったのだが)最近は高校のクラスメートや卓球以外の職業の人とも積極的に話すようにしている

    という趣旨のことを述べている(そのインタビュー記事はこちら) 。
    明らかにすごい16歳だ。

    さて、この言葉の意味を自分の仕事にひもづけて考えてみた。
    以下は、私の全く自分勝手な想像である。

    • 試合で、心理戦として「こういう相手だったらこう来ることが多いだろう」と考えて、逆をついたりする。
    • 相手が直前のプレイで焦ってるかもしれない、だからこうしよう、という組み立てを行う。
    • 同じプレイが起こった後でも、日本人、中国人、ヨーロッパ人で、平均的には受取り方が異なるかもしれない。
    • 国籍や職業が異なる色々な相手の考え方、感じ方、動き方の引き出しを自分の頭や体の中に日頃から蓄えておく。すると、多様な相手や多様な状況に応じてうまい対応ができうる。
    • 日本人選手とだけ話していると外国人選手の感じ方は分かりにくいかもしれない。卓球でないとある職業の日本人の感じ方が、意外と外国人卓球選手の感じ方に近い、なんて起こりうるだろうか。

    全て空想である。こんなことかなあ。

    自分の仕事を振り返ると、多くのことがあてはまる。
    日本の若者が長期でも短期でも海外に行きたがらない。これは、研究界隈でも、大学学部生を見てても、誰と話しててもどうやら確実な傾向のようだ。

    これは研究の世界で言うと、「高校のクラスメートや卓球以外の職業の人と積極的に話さない」ことの顕れの1つだ。

    研究は世界中から人が参画して行われる。主に欧米と東アジア(やオセアニア、イスラエルなど)だが、ヨーロッパにも色々なかなり異なる国があるし、欧と米は結構異なる。
    その中、日本の特に若手 (25〜40歳位) と仕事をしててよく行き当たるのが、

    「彼らはそんな風に思わないでしょ」
    「それじゃ分かられないでしょ」

    というパターンである。
    これは、英語力、計算・論理力、コネの不足ではなくて、知ってる価値観の引き出しが狭すぎるのが原因だと感じる。

    例えば、ヨーロッパ人の休暇が長いことは比較的有名だが、彼らの休暇にかける根性は日本で記事を読んでてもなかなか分からない。そして、休暇に対する考え方は、彼らの仕事の仕方に反映されていて、日本人研究者も影響を受けうる。ヨーロッパ人と直接一緒に仕事をしていなくても、彼らの論文を読んだり、彼らのいる国際会議に行ったり、彼らの設定する基準や方針に影響されるのだ。一般的に休暇がいつからいつまでなのか、という知識も助けにはなるが、そういう数字的な知識だけでは済まない。仕事の優先順位をどの程度に決める人が多いのか。休暇後に彼らが何を忘れてしまっているのか。など。

    もう一つの例として、研究者は論文を論文誌に投稿(=出してもらえるようにお願いすること。限られた紙面を争う競争である)するとき、程度が高い論文誌になるとカバーレターというものをつける。自分の論文の価値を説明して、評価者を納得させて、論文を判定してもらうスタートラインに立つための道具だ。コネは効く。ただ、コネ以外の要素の中では、評価する側の研究者が何を重視しているのか、何をしたいのかにすごく依存する。こっちの理屈を押しつけてもダメ。評価側の人を直接知ってても知らなくても心理戦になる(と自分は思っている)。英語の問題もあるが、英語がうまければよいレターを書けるのではない。研究技術の1つと言えばそれまでだが、引き出しが多ければ対応の幅が増える。

    最後に、日本人同士で共同研究をするにしても、お互いが「卓球選手同士でしか会話しない」研究者だったらば、少し分野や考えがずれるだけで成果は極度に出にくくなる。

    というわけで、若手研究者(や学生一般)は、引き出しを増やす旅に出てみましょう。
    出会う人とどんどん友だちになる必要はない。
    日本でも、仕事でよく接する全ての相手が自分の友だちなわけではない。
    出会って、会話をして(重要!)、別れる。極論を言えば、それだけでも引き出しが一段増える。

    2016年10月5日

    イギリスで安いもの

    為替レートにもよるが、イギリスの物価は概して日本より高いので、イギリスの物価や物価の割に質が伴わないことについて不平を言うのは簡単である。

    (為替レートにはよるが)イギリスが日本より安いものを挙げてみよう。
    安いけど質が悪いものは除く。

    • 乳製品(牛乳、チーズ、ヨーグルト):安くておいしい。
    • パン、シリアル:おいしい。
    • 野菜と果物の多く。
    • 米:中華系の店で買う。5kgや10kgで買うと日本より若干安い。例えば、韓国っぽいブランドをヨーロッパで生産している感じ。怪しくはない。自分の味覚だと特に文句はない。言う人に言わせると日本米には到底及ばないらしいが。自分や多くの周りの人は満足している。値段を気にせずに米を毎日食べられるのは大きい。
    • 海苔:事情は米と同様。普通の10枚入りとかの板海苔。
    • パブの生ビール:ビール好きにはたまらないでしょうね。種類も豊富。ジョッキは、ドイツほどではないが日本よりは概して大きい。
    • カフェのお茶やコーヒー:店によるが、同じ程度の店構えなら日本より安い。洒落たカフェはたくさんある。ただし、食べ物や凝った飲み物はとても高い。
    • 安い携帯電話とその維持費。£10(為替レートによるが、1700円位)で携帯を買える。2年半使っているが問題は無い(もちろん、機能は貧弱)。先払いなどの SIM カードを指して使う。通話料金は、ちゃんと業者を選べば、日本と同じくらい。維持費が安いというのは、月額制でなく使った分だけ払う、という風に(も)できるから。自分の場合、ほとんど電話をかけないので、£10入れておくと2,3ヶ月位もつ。日本では、どんなに小さい契約にしても、月に1000円位は取られると思われる。スマホとか、ネットし放題の契約については知らない。
    • 電子レンジ、電気の簡易暖房:性能はごく基礎的。耐久性はよく分からないが、今の所満足。
    • 映画:イギリスが特に安いのではない。日本の映画は高いと思う。
    • 子どもの集団で習うような習い事:ガールスカウト、バレーなど。1時間£5程度。練度が進むに連れて高くはなるけど。
    • 家族で National Express という会社の長距離バスで旅行すること:家族割引カード(1年間。高くない)を買うと、子どもが無料になるのでかなり割安。他にも、便によってすごく安くなる長距離バス会社もある。
    • 近距離フライト:Easyjet と Ryanair のおかげで、国内、近距離国外とも片道£25-50位からの航空券が多くある。Brexit の影響が心配だ。

    2016年9月24日

    「帰国」する大学教員専用の研究費

    大学の研究者は、主に国から競争的研究費を(競争の結果として)得て、研究を推進している。
    日本では、「科研費」というのが、多くの研究者にとって一番主たる研究費の源である。
    規模・分野別に様々な「科研費」の公募が毎年出ている。

    その「科研費」で、下記の公募にびっくりさせられた(昨年 = 2015年からあったらしい)。

    その名も「帰国発展研究」

    応募資格(紹介サイトはこちら)の主な部分を私の言葉で書いてみる。

    1. 日本国外の大学などで教授や准教授相当の職についている。
    2. 日本国外に居住し、日本国籍を有する。
    3. そして、日本に帰国する=日本の大学に教授や准教授で就任するなどする。
    3は、項目立てて書いてはいないが、実質そう読める。

    そして、採択された場合に与えられる研究費は、かなり大きい(最大5,000万円)。

    呼び戻そうということかな?

    日本は今後特有の難しさもあるかもしれないので、若い世代は、好みであれば欧米や、元気である東アジア、東南アジア、オセアニアの大学で教員職(研究+教育)をとる人が今後増えてきていい。個人的にはそう思う。
    しかし、この公募の考え方は逆なように聞こえる。
    「優秀な日本人研究者は帰国して下さい」とも読めなくもない。

    説明サイトには、この制度が「若手研究者の海外挑戦の後押しにつながることも期待」と書いてある。
    しかし、研究者(ビジネスもそう?)の海外挑戦とは、失敗したら日本に帰ってくればいいという安全パイを持って外に出かけていくのではない。痛手も覚悟する。日本の研究職には戻ってこれるかもしれないし、戻ってこれないかもしれない。

    例として、日本の所属大学から一年間の研究用時間(サバティカルと言う)を得て外国の大学で一年間て研究してよい、という制度が多くの日本・海外の大学にある。私の大学にも、これで来る日本人研究者が思いの外いる。
    ただ、これを「海外挑戦」とは呼ばない。
    本当の海外挑戦では、挑戦して失敗すれば、日本に帰る場所はないかもしれない。
    ただし、失敗しても、人生としても、研究者としてもおしまいというわけではない(ここがよく勘違いされる)。2回目で、研究や研究外で輝く人はたくさんいる。
    それに、「海外」に行かずして研究等が素晴らしければ、それで良い。

    というか、日本人研究者に海外に行くことを促してるのか、海外から帰国することを促してるのか、分からなくなった。
    ちなみに、両方促す、というのは成立しない。
    なぜなら、募集要項1にある、海外で教授・准教授になる、というのは相当に大きな決定・労力投資だからである。
    数年後に帰国する、という計画のもと海外で教授・准教授になろう、と活動する人は、まずいないように思う(結果的に帰国するかどうかは別として)。

    また、国籍で申請資格を制限しているのは象徴的。
    もしイギリスに同じ制度ができたら、私を含めた外国人教員は大変なショックを受けるだろう。
    研究や高等教育が世界でボーダーレス化しつつある、という流れとは逆かもしれない。

    ここまで書いたが、この研究費制度を批判しているつもりは無い(自分、応募資格あるし)。
    ただ、違和感の共有が目的でした。
    他の国の人(特に研究者)に話したら、おそらく理解不能だろう。
    日本にはそれだけ潤沢な研究費があるということ? なんだか平和な話だー。

    2016年7月22日

    イギリスのトイレ

    イギリスのトイレ事情について愚痴るのは簡単だ。

    日本語ブログがイギリスのトイレについて悪い・不便だ、と主に書いているのは

    • 汚い。
    • 公衆トイレが少ない、有料。
    • ウォッシュレットがない。

    ただ、イギリスに住んでいる自分としては、これらは重要と思わない。
    汚くない無料のトイレはコツを知ればまあ見つかる。
    ウオッシュレットは日本でも使ったことがない。そもそも使い方が分からない。一度、日本の外のトイレで、間違って変なボタンを押してしまった。すると、水がお尻に当たり、驚きのあまり飛び跳ねて、トイレのドアに頭を打った。それも理由で、私がウオッシュレットを使うことは今後もないだろう。

    イギリスのトイレで本当に問題だと思うのは、汚物や紙が流れなかったり、よく壊れたりする(詰まる、流すためのハンドルが壊れる)ことだ(これらを指摘しているブログも、もちろんある)。

    日本に住んでいると、トイレの基本機能が滞って自分の時間をとられることはなかなか起こらない。5年に1度くらいか。
    学生時にアメリカに1年留学したけれど、そういう悩みはやはりなかった。
    エレベーターのボタンを押せばエレベーターが来るのと同じように、トイレは当たり前のように機能した(大学のキャンパス内に住んでいたからだろうか)。

    イギリス国ブリストル大学。
    私のオフィスの近くには、隣の階も含めて、普段使いできる距離にトイレが15個位ある(大小合わせて)。
    これらは、入れ替わりたち替わり壊れる。
    常時半分近くが壊れていると言っても過言ではない。
    壊れると、業者が来て直す。
    直すのに2週間かかり、直してから壊れるまでに2週間かかる。
    したがって、どのトイレもやはり半分くらい壊れている。
    夏は、大学に人がいないので壊れない。
    でも、直す業者も夏休みで遅いかもしれないから、なかなか直らないかもしれない。

    調べてみると、水の質やら圧力やら、水道側の問題はあるようだ。
    しかし、トイレは電化製品ではない。すごく高度な機械じかけが駆使されているわけでもあるまい。
    それなりの高い工業基準で作られたトイレが、正しい技術を持った施工者によって設置されれば、「3年くらいは壊れないトイレ」がイギリス各地でありがたがられるに違いない!

    私のような庶民が普段行く場所の中で正しいトイレを備えた唯一の場所は、マックである。
    なお、イギリスのマックは内装もきれいで、値段も安いので、貴重である。
    イギリスマックの小便器は、日本でもたまに見る水無し便器。
    水が節約できるとか、色々書いてある。
    2年間イギリスに住んでて、どのマックでもこの便器が壊れているのを見たことがないし、臭ったこともない。なので、多分優秀なんだろう。でも、素人なので技術の側面は知りません。。。

    TOTO のような企業がイギリスを席巻してくれないか!?
    調べてみると、TOTO はイギリスに参入したらしい。
    安い便器でなくて、ウォッシュレットの高級便器を売り込んだとのこと。
    単価が高いからだろうか。
    ところが、イギリス人と1年くらい付き合っていると容易に想像できるように、ウオッシュレットはイギリスで普及していない。
    ガラパコス化の顕れに見える。
    理由はどうあれ、少なくとも現時点では、イギリスの会社や個人がウオッシュレットを買うことは私には想像しにくい。
    一方、「普通に動いて壊れにくいトイレ」は私の望みであるとともに、イギリス人も、もしあれば嬉しいだろう。
    余計な出費も時間の浪費も減らせる。

    技術やビジネスのことは分からないのですが、誰か、「普通のトイレ」をイギリスに普及させて下さい。

    2016年6月13日

    算数ができないと景気が回る?

    平均的なイギリス人の算数がいまいちであることは、比較的有名である。

    私が算数を生業としているからといって高い基準を言いたいのではない。

    空港行きのバスに乗った。
    料金は往復6ポンド。
    ぴったりのお金を持っていなかった。
    イギリス国の1ポンド玉は、日本国の100円玉より3倍ぐらい(?)分厚いので、なるべく避けたい(これ自体改善してほしいのだが)。
    5ポンドは紙幣なので軽い。
    そこで、多分駄目だろうと思いつつ、11ポンド(10ポンド札 + 1ポンド玉)を運転手に出してみる。
    5ポンド紙幣がお釣りで返ってくる、、、のは稀有である。

    運転手は、怪訝な表情をして、まず、1ポンド玉を自分に返してきた。
    次に、1ポンド玉を4枚出してきた。
    これから海外出張だというのに財布が重い!

    まとめ:11 - 6 = 5 はできない。
    その運転手が特別なのではなくて、よくある。
    でも、イギリスの算数教育について物申す気はない。
    イギリスの教育には、過去のブログ [イギリスの小学校, イギリスの小学校(その2)]にも書いたように良い点がいくつもある。

    「算数ができないから個人消費の経済循環が良い」

    という新説(?)を主張してみる。
    これは、すでに誰かが述べているかもしれないし、経済学的に誤りかもしれない。私は専門家ではないし、下調べもしてません、と先に言い訳をしておきます。

    さて、日本を見ると、みんなが貯蓄してしまって消費に振り向けない。だから、市場にお金が回らず、景気回復のエンジンが入らないのだ、という議論をよく見る。
    貯蓄に行きやすい理由として、将来への不安、そうでなくても貯蓄ということが好きな国民性、などがあるかもしれない。
    ただ、国民のほとんどが基礎的な算数をできる、というのが貯蓄という行動の前提条件である、と考えてみた。

    算数が盛んな日本でも、例えば、福利計算の仕組みを分かってる人はそんなに多くない。
    しかし、どれくらい使うとどれくらい減って、これ位貯めていくとこれくらいの感じで貯まっていく、といった計算。あるいは感覚。
    「稼ぎの40%が家賃になってしまうと家賃が高すぎるのでまずい」という時の40%という数字。
    こういう数字は、具体的に電卓で計算する場合もあるだろう。数字をはじき出すことはしないが、どんぶり勘定で何となく頭で分かっている、という場合もあるだろう。どちらの場合にしても、2,3桁の足し算から割り算くらいまでがしっかり経験済だから分かるのだ、と言いたい。そうでない人は、1ヶ月に2万円貯めると1年で24万円になるということを、たとえ電卓を使ったとしても十分に理解できないかもしれない。「40%」なんて概念は、肌感覚として分からないのではないだろうか。
    だから悪い、と言いたいのではない。むしろ逆で、そのお陰で景気が回りやすい? と言ってみたい。

    おしなべて言えば日本人はこういったお金の勘定に長けている、と仮定する。すると、将来が分からないような状況で、消費に大きく振り向けることはしない人が多い、となる。老後もこれくらいお金がかかるし、と考えたりもして。あるいは、普段からしてこんなに使うとまずい、と何となく分かったりもして。日本人にありがちなリスク回避思考と相乗効果なのかもしれない。

    一方、10や20までの足し算や割り算が怪しい国では、そういうことを考える人が圧倒的に少なそうだ。そういう人は、多分、自分の稼ぎに対してどれだけ使っていいのかが分からない。どれだけ使ったかも計算できない。電卓があっても、である。そういう雑誌やニュースが言っていることも理解をできない。結果として、収入に比して多い消費をしてくれるので、お金が市場に出てきて国民レベルで(家計収入の割に)個人消費が活発であり、景気も回りやすい。。。本当かな?

    2016年3月8日

    教授になりたい人は自分で手を挙げる

    助教 → 講師 → 准(じゅん)教授 → 教授

    これは、日本の大学教員の典型的な職階である。特任、特命、専任、テニュアトラック、といった修飾語が前につくと意味合いが変化するが、細かいので触れない。

    イギリスでは

    Lecturer(=講師) → Senior Lecturer → Reader → Professor(=教授)

    が典型的だ。最近では、アメリカ式に合わせて、真ん中の2つを統合して Associate Professor(=准教授)にする大学も増えている。

    さて、昇進するためには2つの標準的な方法がある。

    (1) 他の大学に異動して昇進する。
    (2) 自分の大学の中で昇進する。

    今回の本題は (2) だが、まず (1) について説明する。

    社内異動という言葉がある。なので、「異動」と言うと、大学関係者以外の方は、社内での配置換えを思い浮かべるかもしれない。ここでは、そうではなくて、例えば大阪大学の助教や講師だった人が九州大学の准教授になる、という状況を指す。大阪大学と九州大学は別の「会社」だ。したがって、普通、こういう異動は社内異動のように上からの命令によって起こるわけではない。人事公募に自ら応募したり、あるいは相手大学側に一本釣りされたりすることによって (1) は成立する。イギリスも同じである。選択基準は日本とイギリスでかなり異なるけれども。

    さて、(2) の昇進はどうやって起こるのか。

    日本:首を長くして待つ。
    イギリス:自薦。

    イギリスでは「オレ教授になりたいです」と自ら手を挙げるのだ!
    これには驚いた。

    日本では、次に誰を教授に昇進させるかは、例外なく現職の教授達が決める。
    准教授の人が、「そろそろ私を教授にしてくれませんかねぇ」とか言って教授(陣)に掛け合うことは、自分の理解によればご法度中のご法度である。なお、上記 (1) の昇進を狙って他大学の教授公募に応募を出すことは、特に問題ない(ただし、「それも良くない」と言う大学人もいらっしゃるとは思う)。

    私の大学では年に1回昇進シーズンがある。「オレ教授になりたいです」という人を審査するのだ。自分の広い意味での業績を 20〜30 ページにまとめ、審査書類として提出するらしい。今までに発表した論文の説明に加えて、研究費獲得状況、教育実績、大学の業務経験なども書くらしい。単なる羅列ではなく、良いエッセイでなければいけないらしい。その提出書類に基いて、学部外の審査員も含む審査会が、昇進の可否を決める。

    日本の大学関係者は、ここで多分大きな疑問を1つ抱く。

    「でも、教授の定数は決まってるでしょう?」

    そう、日本の国立大学では A 学科は教授 6 人、B 学科は教授 11 人という風に、厳格に教授の定数が決まっている。この定数を増やすことは困難だ。何々大学が新しい学科を作りました、というニュースは時折あるが、教授の定数が湧いて増えるわけではない場合がほとんどだろう。その分、関連学科が教授枠を供与したり、1人の教授が2人の学科(=元の所属学科と新設学科)を忙しく掛け持ちしたりしているのだ。

    注:正しくは、「国立大学」→「国立大学法人」、「学科」→「専攻」などなどだが、読みやすさを重視して単純化した。

    ブリストル大学の私の学科には、去年の夏まで教授が7人いた。
    日本の常識だと次のようになる。
    もし「教授定数 = 7」ならば、誰かが辞める(定年退職の場合が多い)か、大学内の他の場所から教授枠を相当うまく引っ張って来るか、助教枠を 2 つつぶして教授枠 1 つに振り替えるとかしない限り、誰も新しい教授になれない。

    ところが、こういったことなしに、8 人目の教授が秋に誕生した。

    教授定数、なるものは存在しないのである。

    上の人曰く:

    「確かに、みんながみんな教授になったら困る。でも、定年退職とかで減りもするから長い目で見れば大丈夫だよね」

    なるほど。

    2015年10月2日

    美しく写る富士山を探す研究

    富士山は、静岡県側と山梨県側のどっちから美しく見えるか?
    大学・研究所の研究仕事も、しばしば、山がきれいに写る角度を探す作業である。

    出てきた研究成果が富士山ならば、誰も文句を言うまい。
    どこから見ても富士山は富士山だ。
    こんな研究を日々目指す。

    ただし、富士山級は簡単には生み出せない。
    そして、富士山狙いが良い研究姿勢とは限らず、以下の2つの戦略がある。

    戦略その1

    山のない地域に、小さ目でもいいので山を立てる。
    そうすると、人々は「おや、こんな所にも山があるのか」と思って注目し始める。
    この地域は、今まであまり研究の手が行き届いていなかったので、そもそも山が立つのか、山をどう作っていけばいいのか、山の植生はどうなるのか、などの知識がなかった。
    そういう地域に山を立てて第一号になり、後続を導くのである。
    研究は、一番目にやることが大事だ。
    すると、質はそこそこの論文でも、始祖として歴史に刻まれる。
    ビジネスで言うブルーオーシャン。

    一方、大きい山がすでにたくさんある所に同じような大きさの山を立てても、目立たないかもしれない。
    日本アルプスには3000メートル級の山が約20峰ある。
    でも、名前を知ってる山がどれだけありますか?
    ヒマラヤには8000メートル級の山が14峰ある。
    でも、エベレスト以外を知っている人は少ない。

    ただし、山のない所にとにかく山を立てればいい、というわけではない。次のような山は失格である。

    (1) 無人島に立てた山。誰も来れない。
    → どこかの分野には結びついた論文を書かないと、さすがに誰も見てくれない。

    (2) 50メートルの山。山なんだか坂なんだか分からない。
    → 質が悪すぎてはいけない。

    (3) 500メートル級だが醜い山。ゴミ山だったり、コンクリートでできていたり。
    → 研究結果としての到達点は合格点でも、論文として構成がまずすぎたり、判読不能な英語や論理展開で書かれていたりしてはいけない。

    戦略その2

    先日、ある作業結果について、どういう風に論文にしようか、あるいは論文にするのをやめて撤退しようか、について悶々としていた。
    そして、「ああ、こういう色付けをすればいいんだ」と気づいた。
    これは、山を見る角度を探す研究態度である。

    山はとりあえず作った。
    これ以上大きくするのは困難なので、とりあえずやらない。
    ただ、どこから見ると一番眺望が良いかを、ものすごく真剣に検討する。
    すると、何も内容は変わっていないのに、最初はつまらなく見えたものが面白く見え始めることがある。
    「よし、その路線で行こう」と決めたら、次にやることは、「正面は(実は)こっちですよ」と言って、交通を誘致し、展望台を設けて、観光客を導くことである。

    「そんな小手先に時間をかけるなら、新しい研究にとりかかれ」と言う人もいるだろう。
    ところが、角度を見つけてあげることによって生き返る研究は、結構ある。

    他の地域から観光客を連れて来ることも、同様の効果を発揮する。
    特に、他の地域から来た人は、地元の人とは違う方向から山を眺めたいと思うかもしれない。
    彼らは土地に不案内なので、観光バス・電車がスムーズに運行されること、交通標識や誘導が分かりやすいこと、売り込みたい眺望が拝める場所に観光ホテルを建てること、は概して有効である。

    富士山ならば、眺望について考えずとも、断トツに高いから人が集まる。
    しかも、周りに高い山がない。
    鬼に金棒。「すげえ研究」だ。
    なんやかんや言って、やっぱり目指すは富士山。

    2015年9月24日

    イギリスの小学校(その2)

    たった3ヶ月前に書いたポスト「イギリスの小学校」と重複がありますが、第二弾です。

    海外に出ると日本の良さが分かる、というのは本当である。
    最近の日本の小学校についてはよく知らないが、日本の小学校教育は次の点でイギリスよりも優れているように思う。

    カリキュラムが国レベルで統一されていて、大体守られている。イギリスでは、学校ごとの裁量に任されている。教科書もない。なので、単元 A を卒業までに習わない小学校(教科書のそのページまでたどりつけなかったからではなくて)と、単元 A を習う小学校が混在する。少なくとも国語と算数(特に算数)については、国レベルのカリキュラムがあって、参考教材もある程度の選択肢をもって体系的に提供されているとよいように感じる。

    このことと関係して、日本の教育は、繰り返しごとを身につけるのには強い。自分が住んでいる地域のことしか知らないが、イギリスの教育は、同じことを何度も繰り返してやっと身につく有用な知識・技術をつけさせることは、苦手と見える。先生がそういう計画を立てることはあるが、色々な理由で途中で頓挫してしまう。最初に立てる計画も、日本ほど周到ではない。その結果、引き算や九九ができない大人は多いようだ。日本の高校数学はとても難しく、また、つまらなく、あれがなぜ必修科目なのかよく分からない。しかし、2, 3 桁の足し算引き算、九九は人生に役立つ。有名な逸話だが、簡単なお釣りの計算をできない店員が多い、というのは本当である。

    国語にしても、もし中国語や日本語のように大量の文字(=漢字)を覚える必要がある言語だったら、イギリスはどうなるのだろうと思った。英語でも、山のようにたくさん単語はある。小学校卒業時点ではどれくらいの語彙力、綴り力がつくのだろうか。とはいえ、イギリスの平均的な成人は、自分よりは遥かに多くの単語を知ってるわけだよね。うーむ、わからん。

    逆に、イギリスの小学校が日本より強いことは何だろう?

    先生が自信を持ってやっている。
    少なくとも、親にはそのように見える。
    No を No と言える文化であることが大きく関係しているように思う。

    個々の児童を見る。「他人と比べて」、「平均と比べて」という話題は、親と先生との個人面談でも出ない。
    また、英語が母国語でない児童(=私の娘)に対して、一対一で英語の訓練をするための人員を割いてくれたりする。娘は、その時間帯だけ、クラスから抜けだして他の部屋で一対一のレッスンをする(羨ましい!)。誰それだけ特別扱いだ、とかいう風にはならない。

    子どもにとって楽しいイベントが多い。
    特に、パーティ的なものが多い。
    日本は、事故、違反、少数の親からのクレームなど「何か起こってしまったらどうしよう」という論理で学校教育が組み立てられていて、この辺が年々難しくなっているように見受ける。外からの想像ですが。どうでしょう?

    例えば算数や英語で、クラスの中で習熟度別にグループを分ける。
    そのことが特に軋轢にはならない。
    平均より下のグループだからどうこう、という思考回路でないからうまく行っている?

    コンピューター、人前でのプレゼンテーション、お金の計算、性教育など、実用的なことをやる。

    一言で言えば、良くも悪くもイギリスの方が日本よりも全体的に緩い。とはいえ、マナーや、人生の中で大事なことは日本に近いレベルでしつけてくれている(ように見える)。

    自分の子どもが通う小学校の先生たちは、とても良い。なので、増田家の方針は、小学校を全面的に信頼しつつ、反復練習が必要な項目は公文・英語のドリル・本などで補強するということである。小学校低学年の勉強時間が増えるのは、自分も好みでないのだが。1日1時間を超えないように。また、毎日の習慣化してしまうように。
    これで万全。。。

    じゃない! 日本もイギリスも、小学校教育で欠けてると感じることがある。
    それは「野生」。
    「かわいい子には旅をさせよ」が両国ともとても足りない。
    イギリスでは、子どもの権利が日本よりとても強い。その長所はあるが、甘やかしが多いとは感じる。端的に言えば、男女関わらず、小学校 1, 2 年生くらいになっても「ママー、ママー」と言ってるような感じの子が多い(ちょっと誇張)。
    翻って日本を見ると、「ママー」は聞かない。しかし、我が子が平均値周辺から外に出過ぎてはいけない、無難なのが良い、という価値観が支配して野生が磨かれないのは、想像に難くない。

    子どもが成人する15〜20年後には、日本、イギリス両国とも国際的な競争力や活力が今より落ちるかもしれない。その分、他の元気な国が台頭してくる。元気な国の中には、若者人口が多いことや天然資源に頼って元気である国もあるだろうが、野生が人材を生み出し、人材が価値を生み出してくる国もあるだろう。
    自律というか、挑戦というか、冒険というか、かわいい小学生にも色々な旅をさせたいものだ。

    2015年8月9日

    お金があれば

    日本のみならずイギリスでも、研究者への道はお金に興味がない人が行く、という暗黙の了解を感じる。
    しかし、最近お金に興味が出てきた。
    お金がかかるからである。何が悪い!

    「お金で幸せは買えない」と言う。
    しかし、「お金で幸せを買える」と感じる状況が多過ぎる。
    そのほとんどは、3人の子どもを2人で育てていることに起因する。

    • 家族が年に1回日本に帰るのはとても良いことだが、航空券代が高い。
    • お金があれば、一番下の子どもを保育園に預けることができて、私と妻のストレスが激減する(たぶん)。
    • お金があれば、車を買うなりもう少し頻繁に借りるなどして遠出をすれば、皆ハッピーである。
    • イギリスは高校までは教育費を気にする必要がなさそうだ(裏をとってないが)。しかし、大学に行く子のほとんどが自宅から遠い大学に入って一人暮らしをする、という理由もあって、大学はかなり高いようだ。

    などなど。おっと、理由をイギリス色を入れて並べたところで仕方がない。日本が経済大国でなくなりつつある現在(イギリスも経済大国ではない)、どの家だってお金があるに越したことはなかろう。

    そこで、多少の兼業を模索し始めることにした。

    東大の教員だった頃、世間の目をはばらかずに行える兼業は出版のみであるように思っていた。出版は私もしていたので、兼業(と呼ぶかどうかは別として)が初めてというわけではない。一方、他の種類の兼業については、大学の業務があるわけなので、規定は概して厳しいと感じていた。

    イギリスにも兼業規定はあるが、日本のようにがんじがらめではない。なので(もちろん規定に触らない範囲で)兼業を模索してみよう! もちろん、研究・教育が主で、かつ、家族を犠牲にせずにできる範囲内で。「高収入だが夜も帰れない」的になっては本末転倒だ。また、やりたくないことまではやらない。

    そして、兼業の目的はお金のみにあらず。自分の分野柄、新しい人と人とのつながりが新たな研究を生むことは大いに期待できる。イギリスの研究世界は、日本よりも強く企業との連携をプッシュし、企業も日本よりはかなり乗り気であることが多い、という現実もある。そもそも、最近、私の研究は、数学・物理学的理論だけをやっていた2007年頃までと異なり、社会や生物のデータを扱う方向に変化している。自分だけでなく、私の研究分野のトレンド自体がそうである。そのせいか、兼業のことはさて置いても、大学業界の中だけにいると発想が限定される、とさえ感じる。これは、去年イギリスに来てから起こった価値観の変化である。「ネットワーク科学」は本当に世の中の何に役立つんだろう? これは、一部では良い答が出ているが、自分ももっと本気で考えて行かなければならんのです。

    自分に何ができるか、何がユニークか。今までの実績も含めて、以下整理してみます。

    • 本の出版。私の主専門である「ネットワーク」についての新書が3冊、専門書が2冊。他のテーマもある程度書けると思う。
    • 記事の執筆やインタビュー記事、対談など。過去のリストはこちら。街中で売っている雑誌、オンライン媒体、ラジオなど。ほとんど全てが「ネットワーク」についての記事。媒体によっては無料で引き受けさせて頂くこともある(楽しい、あるいは宣伝になるのでよい)。
    • 研究者関係以外に向けての講演。
    • 「ネットワーク」に関する調査(私がデータを集めるという意味ではなく、データ解析手法や国内・海外事例の説明など)、データ解析(ソーシャル・ネットワークなど)の相談など。顧客名が挙げられないのでリストにはしていませんが、今までに有償で数件。
    • 「ネットワーク」以外の私の専門で、自分の強みがユニークに生かされるテーマについて、上記と同様の仕事。「べき則」、「格差」、「協力」など。
    • イギリスの生活、教育、大学の様子などについて書いたりしゃべったりすること。現在はブログで書いている。
    • イギリスや日本における子育てについて書いたりしゃべったりすること。やはり、ブログに書いている。

    自分のセールス・ポイント(あえて書きます)

    • 分かりやすく書くこと、しゃべること、は理系の人にしてはかなり得意(過去の新書やメディア記事ブログなどを参照)。
    • 経歴が分かりやすい(東大卒、元東大教員、あえて辞めてイギリスの大学に就職)。
    • 「ネットワーク」の専門家として通じていること。

    まずは、ブログをもう少し頻繁に(しかし、楽しんで書く範囲で)書こうと思います。
    本投稿のシェア、賛成・反対意見等、大歓迎です(私個人にメッセージして頂いても構いません)。また、この投稿の内容は、色々な方の意見を吸収してから、分かりやすい形にしてホームページや Facebook に載せる予定。

    2015年7月14日

    2週間シングルファーザー

    夏。家族の事情で、妻は自分より2週間早く日本へ。
    3人娘のうち2人を連れて。

    残った長女(6歳)は、父と2人暮らしである。

    母と離れて暮らすのは初めてではない。三女出産の時は、長女と次女と自分の3人で、5日程度生活した(注:ジジババその他の手伝いは無し)。しかし、その時は当然、三女誕生を中心に生活が回った。つまり、弁当を買って、保育園から降園して、病院に行って皆で夕飯を食べる。それが毎日のハイライト。よって、毎日母に会えた。この生活パターンは「日常」ではない。

    今回は全くの日常である。小学校や習い事がある普通の2週間。母に会えるわけでもない。時差があり、日本側では三女がギャーギャー言ってるので、skype や電話もできない(実際、一回もしなかった)。
    この間、仕事をできないと覚悟を定めた。

    1日目。妻、次女、三女を見送って家に帰る。
    家についた途端、長女は「ママに手紙を書く」と言って便箋を持ってくる。
    始まったばかりだぞ!

    2日目。月曜日。今日から学校です。
    予想通り3時間位しか仕事できない。長女は本好きで、家で勝手に本を読んでてくれることもあるが、基本的には「遊ぼう」とせがんでくる。次女もいると、勝手に2人で遊んでてくれるので、その意味では楽だ。じゃ、次女も置いてってもらった方がよかった? ... それはあり得ない。

    3日目。妻がスープ用の野菜を切って冷凍してくれたおかげもあるが、10年以上真面目に料理してない自分が、普通に自炊できてることに気づく。一人暮らしの頃に、自炊してた時期が1年位はあるので、その頃が思い出される。

    一人暮らしなら、雑になっても、外食が続いても、まあ困らない。しかし、今回は子どもに食べさせるので、あまり手を抜けない。疲れる。朝食を作り終わったら、夕食のメニューを考えてる、ああこの感覚!

    6日目。炊事、食器洗い、洗濯、学校の送り迎え(がイギリスでは義務化されている)、公文、寝かしつけ、掃除。ひとつひとつはできる作業である(炊事と掃除は普段やってないので比較的苦手であることを認める)。ところが、全部やってこそ主夫である(専業主婦が全部をやるべきとは思わないけど)。主夫業は、三女誕生の5日程度を除けば、初めてだ。日に日に疲れがたまってくる。

    普段、妻は「やっと週末だ」と言う。小学校がなく、ゆったりできるから。
    自分は「週末が憂鬱だ」と言う。子どもと一日中べったりで疲労困憊するから。
    ところが、今日は、自分も「やっと週末だ」と思う。あれれ?

    7日目。疲労の心配を除けば、自分の優先事項は「2週間嫌だった」と長女に思わせたくないことである。2週間父と2人、というのは娘にとって多分印象深いできごとだ。6才の大きなイベントなんて、20年後も結構覚えているものだ。ということは、娘も一生覚えているかもしれない。

    20年の計である。したがって、週末もそれなりに楽しくしたい。土曜は電車で一時間の Cardiff のお祭りに出かけ、友人のピアノの発表会にも行く。日曜日は近所の体育館でやってるローラー・スケートを滑るイベントに出かける。無理しすぎ? 幸い、友だちが夕食に招待してくれる。ありがとう。

    20年の計に従って、怒る回数も普段よりかなり少ない。怒るのが多いと「2週間嫌だった」という方向にしか行かない。目先の論理で怒らない。忍耐。娘は、そこにつけこんで普段より甘えてきてる気もするんですけど。

    10日目。疲労やばい。夜中も、けっこうな頻度で起こされてしまうので、眠れてない。「うわぁー」と叫んだり、「怖い夢を見た」と言って起こしにきたり。他にもいろいろうるさいし。。
    ちなみに、普段は自分は別室で寝てて、睡眠面で楽させてもらっている。

    11日目。栄養バランスや味としては問題ないと思うが、食事がパターン化されてることが目立つようになってきた。長女がどう思っているかは分からんが。このパターン化された食事で2ヶ月だったらアウトだろうな。新しい料理を試す気力はさすがに起きない。

    13日目。もう少しだ!

    14日目。日本へ。
    おりこうさんでした。20年後、覚えているかな?
    父にとっても、一大イベントでした。

    意外だったのは、イギリスの中でも「俺にはできない」と言っていた(イギリス人などの)父親が多かったこと。一方、自分より子育て度の高い父親は、イギリスには半分かそれ以上いる気がするし、日本の男友だちで兼業主夫の人も少しだがいる。
    一週間でいいので、興味あればぜひやってみて下さい。
    自分は多分来年もやります。

    2015年6月21日

    イギリスの小学校

    ひとつの事例に過ぎないが、娘が通うイギリスの小学校について。

    長期休みは、日本と驚くほど一致している。夏休みと冬休みはほとんど同じ期間。日本の春休みは、イギリスではイースターの2週間休みに相当し、年によって日が前後するが、時期・長さとも日本と大体同じである。

    日本は3学期制である。イギリスでは、各学期の真ん中に1週間の休み(ターム・ホリデイ)があり、6学期制と見なせる。日本人である私や妻としては、この1週間休みをどう過ごしてよいか分からずうろたえる。イギリス人も、特に共働きの家庭(過半数)は、時にうろたえているように見えることがある。1日スポーツ教室などが開催されるが、それなりに高い。無料のイベントも探せばある。

    長期休みも含めて、休み中には宿題が出ない。日本のように「夏休みの宿題」が何となく気になったまま休みが過ぎて8月下旬に突貫工事で仕上げる、という現象は起こらない。めりはりがついている。休暇は休暇。

    学期末の放課後にディスコ・パーティがある。体育館で行われ、ミラーボールなどが現れる。

    放課後に、歌クラブ、体操クラブ、理科クラブ、アートクラブ、などが、週1回、1時間 × 6週間程度しばしば開催される。1回平均800円程度。

    小学校2年生までらしいが、クラスの皆を招いての誕生パーティが、頻繁に行われる。誕生日が近いクラスメートがいれば毎週のように招かれることもあり、子どもは楽しそうだ。

    ブリストル市の小学校を知る限り、校庭は特に広くない。この点、特別なことはない。

    今年から、小学校2年生まで給食が無料になった。去年は有料だったので、この変更は歓迎なのだが、給食にケーキやアイスなど、しょうもない甘いものが出る。イギリスに肥満が多いことは言うまでもない。ただし、「食生活を正そう」という啓蒙活動・教育は、小学校でも行われていて、イギリス人が食育に無関心なわけでは必ずしもない。今後に期待!? 我が家としては、家庭の食育が特に大事となる。

    4歳入学である。早い! 4歳児は0年生ということになっていて、本格的な勉強が始まるのは1年生になってから。

    公立小学校の入学は応募制であり、第3希望まで書く。日本のように学区内に住めば必ず入学できるわけではなく、人気のある小学校にはなかなか入れない。日本の保育園と似ている。学校からの距離が近い順に入学が決まる。定員は厳密に守られる。「何々小学校では、学校から 1.02km までに住む児童に入学許可が出ました」という情報が公開される。この競争は、小学校よりも中・高等学校の選択においてより重要である。学業が真剣になってくるからである。行きたい(公立)中・高等学校に子どもを入れるために学校の近くに引越す人が、結構いる。

    親が登下校に付き沿う規則であり、親は大変である。ただし、高学年ではちゃんと守られていないように見える。

    登下校や保護者面談などの父親の参加率は、予想通り日本より高い。「父親(や祖父)が小学校に来て子どもと一緒に昼食を食べる日」なんてのもある。

    日本のような時間割は存在しないようである。

    イギリス人は、日本人に比べてきっちり物事を決めて実行することが平均的に苦手であると思う。なので、宿題は頻繁に出るのだが、何をすべきかが不明確だったり、提出したか否かをチェックされなかったりする。ただし、すべきことが不明確なことには、よい面もある。自分で解釈してある程度創造的に行うことが求められるからである。答が決まってないことに取り組むのは、社会に出ると役立つはずである。自分の子はまだ小学校1年生なので、解釈や創造性を発揮しなければならないのは主に親であり、大変。

    関係して、英語や算数などの細かな技術は、学校内の勉強をやるだけでは多分足りない。反復練習や体系的な積み立てが必要だ。この点、イギリスは日本にかなり劣る。我が家では、日本でやっていた公文(公文について以前に書いた記事はこちら)を継続し、英語のドリルや書き取りも加えて、毎日決まった量だけやっている。親は大変。

    子ども間の比較をしない。先生と個別面談したりする機会は結構あるのだが、平均と比べてどうとか、標準はこの位なのでもう少しがんがりましょう、といった話は一切出ない。あくまで、自分の娘が絶対基準で今はどこに居て、次にどういう目標で何をするか、を話しあう。ただ、目標や今後の行動をしっかり決めても、タスクが全て実行されるとは限らず、日本人が仕事基準で期待するような精度よりは全般的に低い。ただ、今の担任の先生は信頼でき、精度も OK で、満足している。

    子どもを能力別に分けて学習させることがある。算数で、到達度別に5個くらいのグループに分けて、それぞれの勉強を行う。

    先生が自信を持っているように見える。素敵な先生が多い。ただし、地雷教師は少ないけど存在し、当たらないように祈るばかり。

    学校側が、親のボランティアをよく募る。遠足に行くので子どもを見るヘルプに来れる人はお願いしますとか、教室での学習の手助け(本を読む係など)、通学時の交通整理、PTA など。うちは妹達もいるので今のところ到底無理だが、結構多くの親が手伝っている。この助ける精神がキリスト教と関係しているのか否か、現時点ではよく分からない。日本だと、皆やりたがらないので、学年の始めに全部の親に均等に仕事を割り振るなんて話も聞きました。

    小さなことでも褒めどころを見つけて、子どもをよく表彰する。うちの子も、よく表彰状をもらってくる。全校生徒の前で受け取るらしいので、度胸の意味でもいい練習だ。

    2015年3月6日

    イギリスでハーフマラソン

    イギリスでハーフマラソンに出た。

    イギリスに来て丁度一年になった。しかし、職場と子どもつながり以外の人間関係はまだ乏しいので、一人でもできるこういう趣味は大事である。

    参加者1万5千人。ブリストルの隣町 Bath(「風呂」の語源である)で行われるこのマラソンは、イギリス国内でも人気とのこと。

    ハーフマラソンそのものは、日本でも何回か走ったので、特別なことはない(ハーフマラソンについて昔書いたブログはこちら)。淡々といつもの準備をして本番に臨むのみ。日本との違い:

    • 女性が多い。日本でも増えてきているようだが、この大会を見る限り、イギリスの方が女子率が高かった。

    • 自分のためでなく何かのために走ってる人の割合がすごく高い。アフリカのとある国の発展のため、がんの啓発、アルツハイマーの啓発など。ファンドレイジングという考え方が浸透してるからでしょう。こういうランナー達は、自分の団体のTシャツや、目立つけど重そうなコスチュームを来て走っている。日本にもいるが、少ない。

      このことも多分理由で、イギリスは、大会全体の雰囲気というのを感じる。日本は、個々や、個々の友だちグループ・走友会が走っている感じ。どっちが良い悪いと言いたいわけではない。面白い違いだと思った。

    • タイムを気にする人が少ない。日本だと、1km ごとの標識ごとに時計を見たりゴールラインでストップウォッチを止めたりする人は多い。あれは、テレビ中継で見られるだけではなく、自分を含む市民ランナーの多くもやっているのです。イギリスでは、そういう人は、ほんの少ししかいなかった。チャリティーのために走る人が多いことと関係あるのかもしれない。

    • マイル表示である。1マイル = 1.6 km と知ってても、かなり調子が崩れる。ハーフマラソンは13マイル(強)であり、「13ちょっとで終わり」とは皆思っている。日本だと、42.195 km というマラソンの距離は有名な数字なので、その半分ということで、ハーフマラソンが20 km と少し(細かく言うと 21 kmと少し)であることは、多くの人が知っている。13ですか。ピンと来ない。

      日本の長距離ファン(ないしランナー)の人は、テレビなどの影響もあり、駅伝やマラソンのトップ選手は 1 km を3分程度で走ること、2分50秒だと結構速いことなどを知っている。1 km 3分は、換算すると1マイル5分。自分のレベルだと、1 km を5分で走れば1マイル8分。うーん、慣れない。

    無事に完走できた。なお、ここ4年くらい、「走ると右足のふくらはぎと足裏だけ痛くなる病」を患ってる。普段は痛くない。まだ日本に住んでいたときに色んな医者等に診てもらったが、原因不明のまま。でも、まあ何とか練習して何とか完走(タイムは良くないが。ああ、やっぱりタイムを気にしてる自分!)。コンパートメント症候群か脊椎管狭窄症のようですが、良くわかりません。耳寄りな情報をお持ちの方は教えて下さい。

    2015年1月18日

    ブリストルの空事情

    極東とはよく言ったものである。
    英語で Far East
    ヨーロッパ側から見て、ということになる。

    私の分野を含む多くの学術研究の分野において、研究の中心地は欧米である。
    欧へ行くには飛行機乗ってるだけで約半日。乗り換えが必要なら、丸一日行程になることも多く、時差もきつい。
    米へ行くにも同様。
    先進国オーストラリアは、研究においてもおしなべて先進国であるが、やはりシドニー行くだけで半日程度のフライトである。
    シンガポールでさえ7時間強。モスクワも10時間。

    遠い、遠い、遠い! Far, Far, Far!

    ブリストルの空事情は優れている。

    ブリストルは、人口でイギリスで8番目(43.7万人 = 2013年現在)の都市である。
    そんなブリストルでも、空港は国際空港である。
    家から空港までは、歩き20分 + バス10分。とても便利。
    そして、驚くほど多くの都市へ直行便で行ける。60都市以上。羽田と大差ない。
    最近、モロッコの第四の都市マラケシュで学会が行われた。ブリストルから週2回だが直行便が飛んでることに驚いた(もちろん使った)。

    マラケシュは観光地なので直行便が飛んでいる。
    したがって、スペインやギリシャの多くの都市へは、ブリストルからでも直行便が飛んでいる。
    ドイツ人が面白いことを言っていた。ドイツの都市Aから都市B(AとBの間は電車では行けない位に離れているとする)に行くのに、最短路を検索すると、スペインのマヨルカ島経由の乗り継ぎフライトが出てくるそうである。

    ブリストルからの国際便の行き先は、ほとんどがヨーロッパである(マラケシュは例外)。
    昔は、ブリストル = ニューヨーク、という直行便が飛んでて、多くの同僚が重宝していたらしい。
    これは今はなくなった。
    アメリカや日本などに行くなら、どこかで一回乗り換えるか、ブリストルからロンドン (Heathrow) 空港までバスで行って(片道2時間)、そこから直行便(例えば成田行)に乗る。

    仕事でなく旅行だとすると、お値段が気になる。

    日本でもそれなりに知られているが、easyJet と RYANAIR(ライアンエアー)という2つの格安航空会社が幅を効かせている。実際、ブリストル空港の駐機場の幅の大部分がこの2社で占められている、と言っても大げさではない。
    片道 5000〜10000 円で飛べる場合が多々ある。安い!
    これを利してもっと旅行したいものである。私がそれを簡単にできない理由は、仕事ではなく子どもである。子どもにもほぼフル料金が課される。我が家のように3人子どもがいると、格安航空券のメリットは吹っ飛んでしまう。もっとも、格安航空券でなくても同じことは言えるし、日本でもそうである。それでも安いことは安い。そのうち旅行の選択肢に上がってくるだろう。

    2014年12月7日

    イギリスの歯医者

    先日、フロスをかけていたら、銀歯が取れてしまった。
    アホなことに、取れた銀歯を失くしてしまった。。。

    イギリスの医療が無料ということになっている。
    しかし、イギリスの医療は非常に残念である。日本人にとって、イギリスの最大残念かもしれない。町医者にかかってからでないと病院で診てもらえないが、町医者の段階での待ち時間が長い、病院になかなか回してもらえない、町医者のモチベーションが低いなど。これについてはウェブに色々な記事があるので、以下では触れない。

    歯科も(そもそも無料ではないが)然り。
    銀歯が取れるのは、日本ならそれなりの事態であり、早めに歯科に行って治してもらうといった所だろう。ところが、イギリスでは、1ヶ月なり半年待ちだったり、詰め物の材質が悪いとか、技術が低いとか、色々あるらしい。歯科に限らないが、国が予算をあまり割いてないので、医師のモチベーションも低いらしい。これは、個々の医師のせいではあるまい。日本で、医療費がさほど高くないのに医者の収入が高いのは、国がたくさんお金を出してるからのはずだ。

    金持ちは、高いお金を払ってプライベート病院に行く。プライベート歯科医院の料金表を見てみると、確かにかなり高い。だが、検討の末、行ってみることにした。

    1. 朝9時に着く(金曜だった)。
    2. 初診は検査が必要らしく、早くて翌週火曜とのこと。でも、1〜2時間後にキャンセルが出そうで、もしそうなったら診てくれるとのこと。
    3. 結局キャンセルは出て、10時半から診察。
    4. 日本でも高級な歯科医院でしか見たことがないハイテク機器でレントゲンを取り、(日本でもあるように)先生が一本ずつ歯を見て、データをつける。説明も丁寧。
    5. その場で30分で銀歯を作れるとのこと。やってもらう。詰め物の強度を増すために少しだけ歯を削って、その場で銀歯(液体ベース?)を入れる。
    6. 11時半に全部終了。日本だと型を取って一旦帰り、一週間後にまた来院して作った銀歯を入れる、というのが普通だと思う。しかし、自分で固まる素材らしく、一回で終わってしまった。違和感もなし。

    料金は 25,000 円(156ポンド)。
    内訳は、初診料と銀歯代が半分位ずつ。ということは、2回目は初診料はかからないのかな。
    日本よりは遥かに高い。日本では保険が効かなくてもこれよりは安いでしょう。ただ、25,000 円払えば、イギリスにも素晴らしい医療があるようだ。銀歯がすぐ取れてしまう心配は、1ヶ月くらい日常生活してからでないと分からないけど、今回の状況からすると大丈夫そうだ(分からんけど)。

    ともかく、25,000 円の価値があった。
    もうひとつの大きい収穫は、歯を治療するための一連の流れを知ったこと。
    こういうノウハウは、まだよく分からぬ現地に住んでいく上での安心材料となる。
    ノウハウを1つ得ると、異国の地に住むこと独特のストレスは1つ減る。

    25,000 円で銀歯(や多分虫歯)を治せるためには、ひとつ条件がある。

    英語である。

    英語が話せない場合に同じサービスを受けるためには、日本語が通じるプライベート歯科医院に行くことになる。そういうのは、ほとんどロンドンにある。少なくとも、自分が住むブリストルには無い。調べてみると、25,000 円よりはかなり高い。ロンドンは物価が高いし、日本人医師ということでプレミアをつけて駐在日本人などにもアピールできるのだから、当然だ。

    他国に住んで日本の良さが分かるというのは本当である。
    治した銀歯、取れませんように(祈)

    2014年8月27日

    研究者の残念な口頭発表

    日本人研究者の口頭発表(講演)は、概して下手である。

    (日本の)大学の研究室では、学生や研究員、時には教員が発表当番を週ごとに回す場があるのが普通である。また、学会でも、各自が15分なり60分なり発表するセッションが並ぶ。

    学生の発表が下手なのは、経験不足かもしれない。しかし、研究員や教員の多くも、発表が下手である。国際学会だと、英語が障壁で発表が下手なのかもしれない。しかし、日本語で発表しても上手でない人が多い。もちろん、(とりあえず日本語だとして)発表がうまい日本人は何人もいる。ただ、その割合が少ない。プロの研究者(大学教員など)でも、そうだ。

    どのようにしたら、発表技術は向上するだろう? 世間のプレゼン本に色々な技術が書いてある(1冊は読もう)。アイコンタクト、スライドの細かな構成などなど。そこに書いてあることと重複はあるかもしれないが、私が聴き手として感じることを挙げてみる。

    • 時間を守る。

      持ち時間は60分なのに「もう少しなので」とか言って75分しゃべる発表者。聴いている側も時間を気にしないことが結構多い。例えば、私的な研究会だと、発表者が自身の持ち時間を聞いたときに、主催者側が「あまり気にせず、何分でもどうぞ」と答えることもざらではない。

      発表途中で活発な質問があって長引くのは、時間が許すなら良い。ただ、「仮に質問がない場合の発表者の持ち時間」は決まっていて、発表者は守るべきだと思う。だらだら講演し、だらだら質疑応答する時間は、生産的に見えない。発表者にとって、時間を守ることは、スライドや話の展開をよく準備することにつながり、自分の頭の中を整理することにもなる。

    • 卑下をやめる。

      「これは当たり前の計算結果ですが」

      これは、残念な研究発表の常套句である。本当に当たり前なら、削れば良い。例えば、実はその結果は当たり前ではないから、スライドにしてあるのだろう。だったら、こういう常套句は言わない。あるいは、確かに当たり前の計算結果なのだが、そのスライドを削ると、以降の発表内容を理解できなくなる聴衆が多いのかもしれない。こういった何らかの理由があって、当たり前のスライドをわざと入れ、効果を発揮させる。謙譲は日本の美徳だとはいえ、この手の謙譲に長所はない。

      「みなさんご存知と思いますが」という常套句もやめよう。みなさんがご存知なら、そのスライドを省けは良い。この言い方をする大抵の発表者は、「これは当然前提知識としていいですよね」という上から目線で言ってるわけではないように見える。むしろ、聴衆の中に専門家、大家がいて、その方にとっては簡単すぎで申し訳ないという気持ちで、そう言ってるように見える。どのみち、「ご存知ではない」人にとっては聞いて嬉しい言い方ではないのでやめよう。当然ご存知の専門家には、簡単すぎると思われてよい。

      こういった卑下は、時間の無駄でもある。そのスライドを正面から説明するのか、削るのか、どっちかに決める。

    • 専門語をやめる。

      「こんなに専門語を連発して、この発表者は、聴衆が理解できてると思っているのだろうか?」と感じる場面が多々ある。大抵の学会や研究会には、それなりに色々な背景を持つ人が来る。このとき、専門語で聴衆を惑わせてしまうことは多い。もっと簡単な単語に言い換えられないか? その単語なしで発表全体を作れないか? 最初の方のスライドで、その専門語をしっかり定義するのはどうだろう? 改善の仕方はたくさんある。

      専門語を使う方が格好いい、専門語を使ってないと専門家らしく見えない、というのは誤解である。ほぼ同じ分野でも、ちょっと専門がずれただけで相手の専門語が理解できなくなると思っておく位でよい。平易な言葉で、という方針でスライドを作ろう。

    • 文字や数式を詰め込み過ぎない。

      スライドに文字をたくさん入れて、棒読みしたり、読者に読ませたりするなら、その発表は退屈である。スライドを読む? 読者はそんなことをしたいわけがない。長い文字部分を飛ばして次のスライドに行くのなら、読まない文字は削る。スライドを見やすくするためにも、しゃべらない要素は極力排除して、文字や数式や図を少なくする。もし高度な質問された場合が心配ならば、質問対策用の予備スライドを作り、スライドの一番最後に置き、該当質問が出たら予備スライドを出して説明する。

    • 「何々という話」はない。

      「この分野には何々という話(過去の研究事例や研究の流れ)があって」とか、「その話で言うと、私の研究は...」というのも、残念な常套句である。もっとも、私の近隣分野に特殊なことかもしれないし、研究畑でない方にはピンとこないかもしれない。例えば、「コミュニティ分析という話があって」とか、「xxxネットワークという話があって」という使い方をする。

      「何々という話」と前置きすることは、自分の研究題材や研究内容を正当化しない。「コミュニティ分析という話がありまして、私の研究は...」と言っても、前半部分は何の導入にもなっていない。「コミュニティ分析」が、理論や応用の上で大事だからこそ、自分の「コミュニティ分析」に関係する研究の意義が正当化されるはずである。だったら、「コミュニティ分析」がなぜ重要か、を背景として説明する。もし時間がなくても、短く背景を説明する。「話」という単語に責任を押しつけてはいけない。「話」という単語を、講演から排除する努力をしてみよう。

    2014年6月4日

    ブリストルの家探し

    イギリスに来て最初の2ヶ月半は仮住まいだった。

    不動産屋は、自分の知る限り、内見することなしには賃貸契約をさせてくれない。そして、事前にブリストルを訪れて住居を決めてくるのは、時間的にもお金的にもできなかった。したがって、最初は、何らかの仮住まいをせざるを得なかったのである。イギリスに住み始める日本人の多くは同様だろう。自分は、大学所有の家に住んだ。なお、大学経由だからといって、家賃が安いわけではない。

    仮住まいとは、なかなか嫌なものである。どうせすぐに出ていくと思うと、本格的な整理をしたり、掃除をしたり、物を買ったりする気が起きない。一方、本格的に整理などしてないからこそ、こと細かなことまでにストレスを感じる。

    最長1年間まで契約可だったが、仮住まいは短い方がいいだろうと思って、事前に4ヶ月契約にしておいた。これは正解。
    なので、3月から6月末まで住めるのだが、6月末まで住みたくない。。。
    そこで、3月中旬には早くも物件探しへ。

    ブリストルの不動産市場は活況のようである。

    不動産業者が多い。40万人都市なのに、よく店舗を見るものだけでも10社はある。市内の至るところに各社の支店が展開されている。そして、支店はおしなべて綺麗で新しい。イギリスには新しい家が少ないのに、不動産の店はピカピカなのである。儲かってるに違いない。

    街中のありとあらゆる所に、不動産屋さんの看板が立っている。
    ブリストルの不動産屋は、街中で看板立て競争を行っているのである。Cj HOLE と Ocean の2社の看板が特に多い。

    看板には4種類しかない。業者ごとに若干文言が異なるが

    1. Let(賃貸物件)
    2. Sale(売却物件)
    3. Let agreed(賃貸成約)
    4. Sold(売買成約)
    わかりやすい。新居に引っ越して3週間。家の前には Ocean 社の Let agreed 看板がまだ立っている。

    Sale も活発なようだ。「家を売った」とか、「ブリストルを出ていく時には売るから、買うときとの差額だけ考えればあまり損しない」という種類の会話はよく聞く。

    不動産探しのこつ、その1。競争が激しいことをよく意識する。

    色々な業者の物件を集めたまとめサイトがいくつかある。頻繁に更新されるし、便利だ。物件が出現してからまとめサイトに載るまで、2〜3日かかるらしい。しかし、優良物件はその前にはけてしまい、ウェブサイトには出ない。なので、自分の住みたい地域の不動産屋を片っ端から訪れて、住みたい家の条件、合致するのがあれば連絡してほしい旨などを伝える。従業員によって対応が違ったり、忘れられたりしてしまうかもしれないから、時折電話でプッシュする方がよいとのこと。

    希望物件があったらすぐに下見。気に入ればその場で契約。これは日本もそうだ。ただ、ブリストルは、大抵の物事は亀のようにゆっくり進むのに、不動産については、日本よりも高いスピードが要求されるのである。

    不動産探しのこつ、その2。大家さんの力が大きいらしい。

    大家さんが悪いと、故障があっても修理してくれないとか、日本ではまず起きないことが色々起こる。あるいは、不動産屋と一緒に契約書類をこつこつ詰めたのに、最後の最後で大家さんにダメだと言われた、という例も聞く。自分の場合は、たまたま大当たりの大家さんだった。家賃は安く、物件は狭めだけども良く、面倒見も良い。できたお方である。ラッキーとしか言いようがない。

    というわけで、早めに引っ越した。当面は、元の家と新しい家の家賃を両方払う。が、住居が良ければかなり心落ち着くし、生活が前進している感じをもてるので許容。築2年のフラット(日本で言うアパート)。古風の一軒家(が物件の過半数であるように見える)よりは、遥かに好みである。満足、うむ。

    2014年5月2日

    坂 vs 自転車

    ブリストルは坂で有名な街である。
    ブリストルは自転車が盛んな街である。

    この2つはとても矛盾しているが、両方本当だ。

    ブリストルには坂が多い。平地を探すことが結構難しい。 海(正確には入江)に近いが、切り立っているのである。

    街の中心にあるハーバー地区から私の職場まで、一本道で500メートルもない。Google マップで見ると楽そうだが、行き来は結構しんどい。一本道が急坂なのだ。ギア3段の普通の自転車だったら、私の全盛期(?)をもってしても到底登り切れない。電動自転車だったら登れるだろうが、輸送費が高くつくので日本に置いてきてしまった。

    一方、ブリストルの自転車道は、Wikipedia などによるとイギリスの中でもかなり充実しているらしい。去年行ったコペンハーゲンには全く敵わないが、それでも確かに、中心部に限らず、路肩部分のそれなりの幅が自転車レーンとして確保されている道が多い。また、自転車はバスレーンも走ってよいことになっている。交通ルールも、大抵の車の運転手も、自転車を尊重する。日本のように、車道を走ろうものなら肩身の狭い思いをすることはない。イギリス国では、自転車は車扱いなので車道を走り、車は無理に自転車を抜こうとはしないようだ。

    坂があっても自転車を使いたくなるのは、渋滞がひどいからである。車は結構多いのに道路は少ない。もっとも、道路を増やせば単なる車の街になってしまいそうなので、個人的には、道の量は現状のままでよい(車は減ってほしいが)。

    道路が足りない。ちゃんと二車線が機能してる道路は少ない。道路は、平日の日中はいつも渋滞している。さらに、バスはいつ来るかあてにならない。

    なんだか、私のホームタウン八王子に似ている。少なくとも私の住んでた当時は、八王子は道路が足りない街だった。通勤・通学時間帯には自転車が至って有効である。市の東端にある私の高校では、どんなに遠くてもバスではなく自転車で通うのが基本だった。市の西端に住んでる人は片道10キロ近くにもなるが、それでもチャリ通学する。でも、渋滞は八王子よりもブリストルの方がひどいです。

    まとめると、交通はブリストルのアキレス腱である。だから、坂だろうが何だろうが、チャリ、チャリ、チャリ!

    というわけで、渡英2週間にして自転車を入手した。

    至って快適である。

    Q: 坂はどうするの?
    A: 21段ギアで、ばりばり登る。21かどうかは別として、みんなそういう種類の自転車に乗っている。女性も多い。ギア3段では無理っす。

    自転車は車と同じ交通ルールで走る。ということは、右折レーンがある道で右折する場合には、自転車は、車を手信号でかき分けて右折レーンに入らなければならない。慣れるまでは、すごくおっかない。ヘルメットはちゃんとつけましょう。買わなければ!

    2014年3月31日

    小学校探し

    娘の小学校が決まった。

    イギリスの小学校探しは、日本の保育園探しと似ている。

    日本だと、学区内に住んでいれば、必ずその小学校に子どもを入れることができる。例えば、私の前の住所は、文京区立誠之小学校の学区内で、この小学校は人気があった。不動産屋の広告でも「誠之小学校学区内」を売りにしている物件を多く見かけた。

    イギリスでは、小学校の学級定員が厳密に決まっている。埋まっていたら入れない。家からすごく遠く、評判も良くない小学校を割り当てられてしまったという話もあるらしい。特に、自分の長女(日本では、保育園・幼稚園年中。イギリスでは、小学校 0 年生)の場合、学年途中からの応募になるため、余計に不利だ。

    日本の保育園も、文京区で自分が経験した限り、人気の差がある(そもそも、待機児童ということでどの保育園も入りにくいけど)。保育園の場所、0歳児を受け付けるか、3歳まででなくて6歳までクラスがあるか、などは、人気を左右する大きな要因である。第三希望までを戦略的に書いて、入れることを祈るわけである。

    イギリスの小学校申し込みでも、第三希望まで書かされた。似ているではないか!

    我が家の場合、日本人ママさんの厚意でかなり具体的な情報を頂いた。そして、住みたい Southville/Bedminster という地域で、評判もまあ良い(しかも、他の日本人ハーフの子がいる)小学校に、娘の学年については1人空きがあることを突き止めた。即応募。即ゲット。うむ。

    応募が重なる場合は、学校と家の距離、兄弟姉妹がすでにその小学校いるか、などで振り分けが左右されるとのことである。

    次は引っ越し。そう、小学校を決めてから、小学校から徒歩圏内の家を探して引っ越すのである。毎日のことなので。Southville/Bedminster に住みたい、と最初から思っていたけど、もし遠くの小学校になってしまったら、諦めざるをえない。小学校まで毎日バスで片道30分(しかも、親付き添い)とか、ありえないので。だから、学校探し → 家探し、という順番なのである。

    2014年3月17日

    ブリストルの日本人ネットワーク

    ブリストルには日本人が少ないとネットには書いてあった。実際には、日本人は結構いて助かっている。一応40万人都市である。人口の0.01%しか日本人がいないとしても、40人はいることになる。実際にそれ位の人数にも見える。0.1%=400人は、いない気がする(調べたわけではないので分からないが)。留学生として来てる人は期間限定的なので除外すると、住んでいる人の大半は、イギリス人と結婚した日本人女性である。日本人男性は、まだ一人も知らない。日系企業がないこともその一つの理由だ。

    単身なら、日本人ネットワークに頼らずとも生活は成り立つだろうし、あえて探さないかもしれない。学生でアメリカに1年留学したときは、日本人ネットワークをあえて見ないという方針で英語を向上させた(注:それでも、日本人の友だちは何人かいて、今も続いてる)。しかし、家族持ちだと考えが異なる。特に、小さい子どもがいると、全ての動きがとりにくい。妻が英語を向上させようと思っても、子ども3人(うち、2人オムツ)の世話に加えて英語やイギリス人の輪に早急に飛び込むのは、すぐに容量オーバーになりかねない。それよりも、日本人でコミュニケーションを確保し、英語は数年計画でゆっくりとやっていくのが現実的だ。そのようなスローな計画でも、英語をちゃんとやろうとするかそうでないかで、長期的には差が出てくるはず。

    さて、日本人ネットワークには非常に助けられている。職場で隣の部屋の人の奥さんが日本人である。ここから輪が広がって、イギリス生活2週間にして、かなりの日本人の方と知り合い、色々助けてもらった。イギリス人に助けてもらうことと何が違うのか? 言語の問題を除いても、以下のような貴重さがある。

    • 日本食の情報。中国系スーパーマーケットがあり、アジアの食材を売ってる。中国米のおかげで、米は日本より安い。当座鍋で炊いてるが、味も十分に OK. ふりかけは高いので、自分は、韓国のキムチ味噌ペースト(ご飯に合う!)で食べてる。そういったこと(笑)。
    • 日本語がある場についての情報。日本人の子ども集まり、日本語補習校、ママ友的な集まりなど。子どもは、今後英語に傾倒していくはずだから、どうやって日常生活の中で日本語や日本っぽいことをキープして伸ばしていくかは、大半の家庭の悩みらしい。そのやり方など。
    • 長くこちらに住んでる日本の方は、当然ながら、日本人なら気になる種類の情報をもっている。日本食だけでなく、日本人ならこのアイテム欲しいよね、というのがある(サランラップとか、日本のものに近いオムツとか)。また、子どもの小学校を、小学校の評定(が公表されている)に基いて決めることはイギリスで一般的なようだが、それだけでなく、英語がわからない子どもへのサポートをしてくれる学校かどうか。あるいは、日本人目線で見たときの、地域ごとの治安の情報。日本に帰る航空券の情報。などなど。

    みんな、親切に学校やスーパーの個別名に至るまで教えてくれる。ありがたいことです。 実際には、日本人に限らず、職場のイギリス人たちにも、とても助けられてます。

    2014年3月12日

    海外就活

    2012年12月、36歳にして就職活動を始めた。目標は、海外の大学の研究・教育職(いわゆる、大学の先生。東大の職と同じような職)に常勤職を得ることだった。2013年9月にその目標は達成された。この就活の経験を書いてみます。

    研究業界の求職情報は、実験助手や事務員も含めて、各大学のウェブサイトや、色々な大学の公募情報をまとめた求人情報サイトにある。これらを、しつこくチェックした。日本には、JREC-IN というこの道で有名なサイトがあるらしい。一方、海外では、まとめサイトにちゃんと公募情報が載るとは限らないし、国にもよる。アメリカは、いくつかの情報サイトがやや乱立していて、分かりにくかった。

    自分は、就職したいかつ可能性があると思える世界中の大学や研究所について、個々の求人サイトを2週間に1回位、10ヶ月間に渡って、チェックした。レベルが高いけどはずした大学は、自分の実力では就職できえない大学(ハーバードなど)、あまりに田舎すぎる大学(アメリカ中部など。自分はよくても家族がいるので)などである。その数は、アメリカで50, イギリスで20, カナダとオーストラリアとその他 10 ずつといった所である。マメにやれば何とかなる数だ。なお、家族のことも考えて、基本的には英語圏に絞った。また、探す年限、自分がこの就職市場で商品価値を持つ年限は3〜4年間だと思ってたので、2年経ってダメだったら基準を下げ、3〜4年やってダメだったら諦める予定だった。

    出したい公募が見つかると、応募書類を書いて期限内にネット経由で提出する。応募書類作成のノウハウは、様々な英語のウェブサイト(日本語のものは皆無に等しい)で紹介されている。提出を求められる主な書類は、業績リストを含む履歴書、今後の研究計画、教育の実績や計画である。

    ただ、ウェブで情報をよくよく研究して、見よう見まねで書いてみても、最初はコツが分からない。日本でないので、採用側が何を期待しているのかがイマイチわからない。また、海外の大学に就こうという日本人研究者はほとんどいない(海外で働いているが日本に帰ってきたい日本人研究者は多い)ので、情報が少ない。また、研究者に限られないかもしれないが、転職活動をしていることをあまり表に出さない方がよい、という日本文化はあるようで、周りの人に表立っては相談しにくい。

    一方、採用側は、提出文書をよく見ている。今までの研究業績だけで採用に至る、という単純な話ではないようだった。

    私は、以下のようにして応募書類を改善した。

    • とにかく、書いて応募してしまう。後々、調べたり考えたりしていると、あの書き方は良くなかった、と気づく。それを次の応募で生かす。
    • 外国の研究者に尋ねる。どうやって自分を売るか、どういう分野の公募を狙うか、採用側は何を見ているか(多くは、研究費の獲得能力に関心があるようだ)。こういったことを、新しい友人から古い友人まで、色々な国籍の研究者に尋ねまくった。5年以上連絡してなかった知人も、すぐに skype までして相談に乗ってくれた。ありがたい。
    • 運良く面接に呼ばれると、失敗した場合でも、応募書類作成について気づきがある。それを次回に生かす。

    成功する応募書類とは何なのか? 採用側に尋ねない限り、答はやっぱりわからない。ただ、私が以下のことに注意した。

    • 推薦書を3〜4人に書いてもらうことになる。分野によるかもしれないが、日本人でない人に全ての推薦書を書いてもらった。日本の同僚に秘密裏に就活をしていたから、とかではない。採用側は、国際的な文脈で候補者が仕事をできるかどうかを見ていると思われる。なので、大物中の大物でない限りは、採用側が知らないであろう日本人の推薦者を挙げると、3つしかないスロットを1つ使ってしまう。それよりは、国際力アピールに推薦書を資するべきだ。私の場合は、アメリカ、カナダ、韓国の共同研究者に1つずつお願いした。なお、頼んだときに「推薦書の下書きをして下さい」と言われてしまったら、その人は自分を本気に推薦してくれるわけではないと思う。
    • その大学用に、応募書類をカスタマイズする。数十、数百の応募を出すことになるのが普通なので、基本的には同じ書類を色々な大学の応募で使い回すことになる。しかし、大学ごとに、この分野が強いとか、この人がいる学科だからこういう共同研究が期待されるとかいった個別事情がある。大学の個別事情に丁寧に合わせる作業をしてから書類を提出するのは、多分意味がある。採用側の学科等のウェブサイトも研究すべきである。毎回この作業をやると、ひな形は完全にできている所からスタートしても、提出し終えるまでに 3〜5 時間かかる。それでもやる!

    応募を終えると、1〜数ヶ月で、次のステージに進む場合は結果が来る。落ちた場合に通知がくるかどうかは、大学によってまちまちである。

    次のステージは大学によって異なる。longlist と shortlist という概念がある。longlist とは、書類の一次選考に残ることである。例えば、200 通あった応募が、この段階で 20 通まで絞られる。shortlist とは、面接に呼ばれることである。典型的には 5, 6 人の候補者が面接に呼ばれる。longlist なしでいきなり shortlist する大学もあるし、longlist した後に、skype で面接して shortlist する大学もある。longlist した後に、skype 面接ではなくて書類をより細かく審査することで shortlist する大学も多い。自分の場合、40程度の応募を出して、6個 longlist され、3個 shortlist された。

    運良く shortlist されると、いざ面接に赴く。書類選考までは日本と海外で大差はないかもしれない。しかし、面接は、海外と日本で大きく異なる。

    第一に、旅費が出る。日本だと、予算が潤沢な研究所ならいざしらず、大学の場合は旅費が出ないのが普通である。イギリスに3回面接に呼ばれ、3回とも日本からでも旅費が支給される。違う大陸から来させる旅費を払ってまででも、いい人を採りたいのである。ここには、人選に対するこだわりをもっとも感じた。なお、食費も出ることが多い。私の立場からすると、特に子どもがいて家計が厳しいと、自費で行くことは精神衛生上かなり悪い。なので、これには助けられた。

    第二に、会食を伴う。集合が立食ランチだったりする。自分が採用された面接では、夜のレストランが集合だった。採用側は、候補者の社交能力を見ている。といっても、採用側が各候補者を「チェックしている」とは感じなかった。あくまで、受かっても落ちても、折角の機会だから交流する、という風に感じた。こちらから色々質問することもできる。例外なくいい人、面白い人たちなので、楽しくなってしまう。次の日にも本番があるので、ついつい飲み過ぎないように注意が必要である。

    第三に、候補者同士が顔をあわせる。会食する時点で会ってしまう。面接では、30分程度の研究発表をさせられるのが普通だが、他の候補者の研究発表を聞いてよい、という場合も多い(ただし、他の候補者に質問することはご法度)。日本では、極力、異なる候補者が顔を合わせないように計らわれる。

    第四に、母国人の候補者が少ない。イギリスでしか面接に残れなかったのでイギリスのことしかわからないが、5, 6 人面接に呼ばれる候補者の中にイギリス人がいることは稀である。候補者の強さで選ぶと、結果としてそうなってしまうとのことである。彼らは、イギリス人を採用したいとは微塵も思っていない。ここにも、人材に対する貪欲さを感じる。イギリスは、英語圏であることもあり、世界中から候補者が集まる。

    こうして、1泊2日に及ぶ面接が行われる。とはいえ、自分の出番は、会食を除けば高々1時間半である。アメリカではもっと長時間に渡って、相手をとっかえひっかえして様々な相手と様々な種類の会話をするらしい。いくつかのブログによると、アメリカ型に慣れていると、イギリス型は「こんなに短い時間では候補者を理解できるわけがない!」と見えるらしい。

    候補者が6人いれば、合格率はとりあえず 1/6 である。だから、普通は落ちる。私も2回面接で落ちた。しかし、不思議と悔しさや嫉妬がこみ上げてこない。受かった人に「おめでとう」と心から言えるのである。この心理は不思議である。力を出し尽くしたスポーツの試合のようである。まさに、スポーツマンシップ!

    採用側がフェアに選考を行っている、と感じられるからかもしれない。採用側が事前に心で決めた候補者が1人いて、その人を採用するために形だけの面接をしているのだったら、決してそういう風には感じないだろう。実際には、そのような面接もよくあると、海外の友人は言っているが。

    落ちた時の残念度合いは大きい。特に、日本から行き、面接して、帰るだけでも丸々4日と体力、気力を失う。残念なのである。ただ、悔しい、というのと異なる。淡々と次を探すのである。一つの公募には100人や200人の候補者が群がるので、ベスト6に入れただけでも、自分はその位の競争力は持っている、と思えるからかもしれない。ただし、そこで満足してしまったら負けである。

    面接を終えると、課題が浮かび上がってくる。それをくまなく書き留める。面接の時に何を聞かれたか、どう答えたか。書き留めないと忘れてしまう。後は、練習、練習、練習。10回でも100回でも声に出して発表練習し、スライドは完璧に。想定される質問(研究内容に関する質問だけではない。教育の心構え、研究費を獲得する作戦、なぜ応募するのか、など色々聞かれる)について何度もシミュレーションする。

    その結果、ブリストル大学から採用を頂き、大満足である。
    海外で定職を得る日本人研究者がもっと増えてもいいな、とも思う。